Naturalistaeの表紙に使用した家紋一覧 (選定・文 守田益宗)

 No.  家紋 家紋について 
第27号   家紋の撫子はカワラナデシコを意匠したものである.カワラナデシコは,万葉集や源氏物語にも記述が見られ,また,秋の七草として古くから親しまれてきた植物でもある.別種のセキチクを意匠したものは花弁の外縁形状の違いにより石竹紋(唐撫子紋)として区別されるが,曖昧なものもあり厳密には区別できない.撫子紋は戦国武将の斎藤道三の紋として知られており,現在も「斎藤」「斉藤」姓には撫子紋を使う家が多い.図は斎藤氏の撫子紋.
第26号   モモは,中国では邪気を祓う魔除けのシンボルとされ,また,その果実は不老不死を与えるものとされている.我国でも古事記や桃太郎伝説などにモモにまつわる伝承などが認められる.魔除けの意味やその果実の形状の美しさから家紋に選ばれたと思われ,神紋に多く使われている.図は和歌山市伊久比売神社の丸に葉敷き桃紋. 
第25号   その音が「難を転ずる」につながることから縁起植物として知られているナンテンは,日 本や中国に自生し,古くから園芸植物として親しまれているが,江戸時代には多くの園芸品種が選び だされている.家紋としては比較的新しく,江戸期以降に栽培の流行に合わせて生まれた紋と考えら れている.図は丸に三つ葉南天紋.
第24号   分類学上アヤメとカキツバタは別種であるが,家紋上では区別せず杜若(カキツバタ)紋とされることが多い.植物の優美な姿のゆえか,伊勢物語の在原業平のカキツバタの和歌の影響か平安時代から多くの公家の紋として使用されてきた.図は藤原北家花山院流の公家である今城家の丸に立ち杜若紋.
第23号   アサは古代からの有用植物であり,木綿が普及する以前の主要な繊維原料として,また,その種子から絞った油は食用や燃料として利用されていた.薬効作用があることから大麻としてもしられているが,現在ではその栽培に許可が必要である.衣料の神様として有名な鳴門市の大麻比古神社の神紋は,このアサを六角形の星形に意匠した麻紋である.
第22号   秋の七草のひとつであるキキョウは,かつては畦や河原など日当たりの良い所でよく見られたが,今では絶滅危惧種に指定されている.これと関連するするわけではないが.キキョウをあしらった桔梗紋は本能寺の明智光秀,幕末の坂本龍馬,西南戦争の桐野利秋らが使用していたことから反骨と悲劇の紋としてしられている.表紙のキキョウ紋は長篠の戦いで討死にした武田軍四天王のひとり山県昌景のもの. 
第21号    松は古くから長寿のシンボルとしてまた霊の宿る木として尊ばれてきた.松が家紋に採用されたのも,このようなありがたい木だからだろう.松紋にはさまざまな意匠のものがあるが,「三階松」が代表的である.表紙の家紋は,忠臣蔵で有名な赤穂藩の討ち入り四十七士中,光延,光興,光風の親子3人が加わった間家のもの.
第20号    カジノキは和紙や画仙紙の原料として知られているが,神道では神聖な樹木のひとつであり,神事の際には供え物の敷物に使われた.御柱祭で知られる諏訪大社の神紋として有名である.同大社は古来,軍神として崇敬されたが,そのため,梶紋は武士たちの発展とともに広まった.<表紙の家紋は,諏訪大社の梶紋>
第19号    天満宮の神紋として知られる「梅紋」はその由来故か100種類以上あるといわれている.このうち,写実的なものを梅花紋,幾何学的なものを梅鉢紋として区別している.梅花紋は太宰府天満宮,紀伊国屋文左衛門などが,梅鉢紋は 湯島天満宮,筒井順慶などが使用した.また,多くの家が「梅紋」を用いたため,加賀前田家では加賀梅鉢と呼ばれる意匠で差別化を図った.<表紙の家紋は北野天満宮の星梅鉢紋>
第18号    沢瀉(オモダカ)は沼沢に生育する水生植物で,水田雑草としても知られている.また,オモダカの栽培変種であるクワイは,その塊茎の外形から縁起物として扱われる.オモダカの葉は,形が矢ジリに似ているため「勝ち草」とも呼ばれ,豊臣秀次,福島正則などの戦国武将の家紋として用いられている.表紙の家紋は,戦国屈指の奇襲である厳島の戦いで有名な毛利元就の長門沢潟紋.
第17号     梛(ナギ)は 雌雄異株の常緑樹で樹高20m程度に達することもある.一見するとモチノキのような葉をつけているが,よく観察すると平行脈をもっている.マキ科の針葉樹であり,日本の本州南岸,四国九州,南西諸島などの温暖地方に分布する.神社やお寺に植栽されることが多く,時折庭園木としても植栽されている.熊野神社及び熊野三山系の神社では神木とされる.古くから神事に用いたことがうかがわれ,家紋としてもよく用いられる植物である.
第16号    竹や笹は古来神聖な植物とされ,「古事記」には天照大神が岩戸にお隠れになられた時,技芸の神様といわれる天鈿女命が束ねた笹を手に持ち,天の岩戸の前で踊られた様子が描かれている.現代でも地鎮祭で立てられる忌竹や七夕で短冊を飾るなど神事で用いられる.表紙の家紋は江戸時代仙台藩伊達氏の「竹に雀 」として知られる仙台笹紋.(守田益宗)
第15号     シュロ(棕櫚)は九州南部に自生するヤシ科の常緑高木である.このようなエキゾチックな植物も,すでに室町時代の軍記物「太平記」には家紋として見られるというから驚きである.悲劇の武将佐々成政が使用した棕櫚紋が有名であろう.表紙の家紋は同じく戦国武将米津氏の棕櫚紋.
第14号   
  「菊」紋は,古来から武士や武家の家紋,店舗の商標として豊富な種類が図案化され,多くのバリエーションが見られる.鎌倉時代の後鳥羽上皇はとくに「菊」紋を好まれ,その後,代々の天皇が継承し,やがて慣例のうちに「十六八重表菊」が「天皇・皇室の菊花紋」として定着した.明治二年には,太政官布告により親王といえども,その使用は制限された.表紙頁に示したものは,楠木正成の「菊水」である.建武の新政に対しての功から後醍醐天皇より「菊」紋を下賜されたが,畏れ多いとして,半分は水に流した意匠にしたという.
第13号    銀杏(イチョウ)は,生命力が強く,長寿の木でもあることから,古来,心霊が宿ると信じられてきた.その長寿と悠然たる構えから,徳川家の替紋とされるなど,多くの諸氏が用いている.表紙の家紋は三つ銀杏.
 第12号    庭や道端に普通に見られる酢漿草(かたばみ)は,西洋では賢婦を象徴する草とされるが,我が国でも黄金草と呼ばれて大切にされてきたせいか,公家・武家など多くの家が用いた.備前の戦国大名・宇喜多氏や忠臣蔵の間瀬孫九郎の「剣酢漿草」が有名である.
 第11号    古来,カシワ(Quercus dentata)は神聖な木とされ,カシワの葉にご馳走を盛って神に捧げていた.そのため神官や武家に愛用された家紋である.図は「丸に三つ柏」.土佐藩主山内一豊の父盛豊が,丹波の合戦のとき柏の枝を旗指物にして奮戦勝利したとき,枝に残った葉が三枚だけだったことから「三つ葉柏」を家紋にした逸話は有名.
第10号     藤は長寿で,繁殖力も強いことからめでたい植物とされてきた.花も美しいが,家紋としてのデザインも見栄えがするため,公家から武家までひろく愛用された家紋であり,そのバリエーションは百種類以上にのぼる.図は「左三つ藤巴」.幕末から明治初期の政治家として著名な大久保利通の紋として知られている.
第9号    植物を題材として家紋の中で最も種類の多いのはササであるが,「丸に九枚笹」は笹紋中でも良く知られた図案であろう.「丸に九枚笹」は,新撰組隊士として池田屋事件にも参加して活躍し,戊辰戦争にも生き残った斎藤 一の紋所としてもしられる.