基町高校時代の思い出 (作成途中です)

ベビーブーム世代
入学した高校は広島城の北側にある基町(もとまち)高等学校。
自由な雰囲気があり、ズボンのすそ幅なども厳しい指導はなかったので、風にはためくほどのラッパズボンをはく学生も居た。
入学したときは、1クラス55名で11クラスあったと思う。
教室は机が2列に並んでひしめいており、教卓とひっついていた。
中学校時代からこのような状態だったのでこれで普通だと思っていたが、大学卒業時点では45名×7クラスであり、机と机の間には歩けるほど離れていた。
これほど学生の数が減ってしまったわけで、教員の採用があるはずもない。

N先生
2年生の4月、英語担当のN先生が転勤してきた。
最初の授業の際、この先生は教卓に腰掛け、教卓の前の学生の机の上に革靴のまま足を置いた。
折しも、小生はこの机に座っていたのである。
N先生は「前の高校では生徒を殴ってこの高校に替わらされてきた!」と、ドスの利いたしゃべりである。
最後には机の上に立ち上がる始末。
要は「容赦はしない!」という内容であった。
先生はかなり重度の出っ歯であり、ツバキは容赦なく頭上から降りかかる。
大変なことになってしまった。

N先生はよく学生に質問した。
最初に質問されるのは、必ず教卓直下に座っている小生であった。
唾が飛んでくるので下を向いているのだが、容赦はない。
お陰様で、英語は予習を欠かすことができなくなった。
当時、英語がそこそこ得意であったのは、まさにN先生のお陰である。

最初のたんかにはびっくりしたが、N先生の面倒見は大変なものであった。
出来の悪い学生に毎日ノートを提出させ、それを添削し、返却する。
教員室の先生の机の上には毎日大量のノートが積み重ねられていた。
不良グループへのアプローチも頭が下がった。
夕暮れの校庭で、彼らと話し込んでいた先生の姿は忘れがたい。

広島大学で教育実習を受けたとき、意外にも実習生への最初の挨拶がN先生であった
高校教員から大学教員へと転身されたのであった。
思い返せば、バリバリの進学校にトラブルを抱えた教員が転任してくるはずはない。
最初の型破りの啖呵は演技だったのだ。
それにしてもすごいインパクトであった。タイプは異なるが、金八先生であった。

生物部
我々新入生は40名以上居たように思う。
その中で、男性はわずか5名ほど。
入部してみてわかったことであるが、伝統のあるクラブであった。
OB会は「なずな会」といい、現在は活動を停止しているが、時折仲間は集まっている。