コケの研究 小学校5年だったか、6年だったか夏休みの宿題で、緑色のきれいな標本を作ってくることが課題として出された。 アイロンで乾燥させるとか、シリカゲルで乾燥させることを考えたが、コケの標本を作ることを思いついた。 ご存じのように、コケは机の上などに放置しておいても変色しない。 用心のために、吸い取り紙を束ね、その間に採集したコケを挟むことにした。 採集してきたまでは良かったのだが、名前がわからない。 手元には戦前に出版された牧野植物図鑑しかない。 元々コケは少ししか掲載されていないのに加え、旧カタカナ使いで記されており、おまけに小文字も並活字で組まれていた代物であった。 フトリユウビゴケ ハヒゴケ(ハイゴケ)、ゼニゴケなどは絵あわせだけで、これに違いないとわかった。 これかもしれないと思えた種の中に「オホバホウワウゴケ」、「フトリユウビゴケ」があった。 「オホバホウワウゴケ」は実に発音しにくいコケであった。 人に説明するのに、これは「オホバホウワウゴケ」・・・・その後、これはオオバホウオウゴケであることがわかる。 その後、かなり後まで誤解していたのが「フトリユウビゴケ」であった。 「ふとり・ゆうび・ごけ」:「太り優美苔」と読めるので、そのような意味であると思っていた。 実際にかなり太めであり、きれいなコケである。 本当は、「ユ」は小文字の「ュ」であり、「ふと・りゅうび・ごけ」:「太竜尾苔」であった。 活字の種類が少なかったためか、小文字が全く使われていなかったのである。 鼻高々の少年ピノキオ コケの名前など、身の回りの人たちは誰も知らない。 少し知っているだけで、随分と知ったかぶりができる。 しかしながら、すぐに大きな壁にぶち当たってしまった。 名前の付けられないコケが多数出てくることになり、新種だらけになってしまう。 牧野植物図鑑は昭和15年(1940)に出版され、昭和36年(1961)に新版が出版された。 新版では、78種のコケ植物が記載されている。 コケ植物に関する図鑑(保育社の原色蘇苔類図鑑)が市販されたのは、昭和47年(1972;小生が大学を卒業した年)であり、その間は簡単に入手できる状況にはなかった。 わからないコケが増えて来るに連れ、これはストレスになる。 頑張ってもわからなくなると、次第に興味を失うことになる。 中学校時代はそのような状況であった。 コケのメッカ 広大 高等学校に入学し、生物部に入部した。 基町高校の生物教員は、広大の出身者および大学院の非常勤など、いまから振り返るとすばらしいスタッフであった。何度も広大を訪問する機会やそのころ山陽女子短期大学の講師(?)であったS先生などの教えを請う機会も与えていただいた。 広大理学部植物学教室の廊下はコケの標本で溢れ返っていた。 広大を訪問したとき、当時大学1年生であったT氏を紹介していただいた。 坊主頭に鋭い眼光、彼は高校時代からコケの世界では有名であり、主任教授の代理で採集に出かけるほどであるという。 これでコケの研究に熱中するかと思えば、そこが元来のひねくれ者で、大量の標本と、世の中にはすごいやつが居るものだ! という事実を知るに及んで気後れしてしまった。 ピノキオの鼻が見事に折られてしまったのである。 以後、プッツリとコケの研究は止めてしまった。 湿原はコケの世界 温暖低地の湿原にはコケ植物は少なく、主役ではないが、冷涼な地域に発達する湿原はコケが主役である。 コケの分類・同定にスムーズに入れたのも、このような少年時代からの経験があったからであろう。 湿原のコケでもっとも重要なのはミズゴケ類である。小生の指導教官である鈴木兵二先生は、ミズゴケの分類から湿原植生の研究へとテーマを発展された。 逆に言えば、ミズゴケの同定ができなかれば、湿原の研究は不可能に近い。 最近は、高海抜に発達する湿原の研究を行う機会が少なくなり、同定能力が錆び付いてしまった。 |