女子寮の舎監

 勤めていた高校には珍しく寄宿舎があった。学区が広く、遠方の通えない生徒に対するものであった。勤務し始めて間もなく、校長先生に呼ばれ、舎監をやってもらえないかと頼まれた。昼間の週16時間の時間講師と舎監手当をあわせれば、ボーナスはないものの毎月のサラリーは正式の採用よりも若干上回る。引き受けることにした。
 寄宿舎には男子寮と女子寮があり、3人の舎監が交代で宿泊する。舎監の1人は退職教員(男性)、もう1人は図書館司書の女性、そして当時22歳の小生という構成であった。最初は何らかのトラブルが発生することを懸念していたが、校長先生の「みんな良い子だから、気に入った娘がいれば、つれて帰りなさい」という大胆な発言で、気楽になった次第。

女子寮の舎監!
 1年目は男子寮中心に、2年目は男子寮が廃止されたので女子寮の舎監となる。女子寮の舎監は花園かと思えたが、実は監禁状態であった。夜になると舎監室から出られないのである。彼女たちが風呂から部屋にもどる途中に出くわすと「キャー!」という黄声が轟く。こちらとしては4人も姉が居る中で育ったので、パジャマ姿など特に気にするものではないが、彼女たちの反応はものすごい。かくしてトイレにも行けない状況となってしまった。「部屋から出るぞー!」とどなって少ししてゆっくりと戸を開ける始末。

授業の予習
 かくして軟禁状態の舎監室で本を読みあさる日々が続いた。というより、次の授業で話す内容を予習する日々が続いたわけである。専門書は高校の授業には全く役に立たなかった。ブルーバックス、NHKブックス、岩波新書、中公新書・・・etc.生物系の新書などを中心に、最初の1年間で100冊読破の目標を立てたが、実際には130冊読むことができた(くだらない本も多かった)。2年目は地学も受け持つことになり、50冊の読破を目標としたが、それほど入手することはできず、若干目標を下回った。
 授業の内容は、昨夜読んだ本のおもしろかった所が中心であり、試験の直前に教科書を大急ぎで進むというやり方で、受験型ではなかったが生徒は実にまじめに試験勉強はこなしてくれ、結構優秀な試験成績で、ほっとしたものであった。

おんぼろ宿舎の大改造
 寄宿舎は押せば倒れそうなオンボロ木造建築で、ひどいものであった。たびたびヒューズが飛んでしまう。調べてみると数室に対して15アンペアの容量しかなく、各部屋でこたつを使う冬になると、だれかがポットでお湯を沸かすとヒューズが焼き切れてしまうのであった(テンパールスイッチではない)。コンセントも2穴しかなく、蛸足配線もすざましい。ヒューズが飛んでしまうと、大変な騒ぎになる。部屋の中の「男性に見られてはならない物」が一斉に片づけられる。したがって、「ヒューズが切れました、10分後においでください」となるわけである。部屋の中は何もないほどきれいに片付いている。
 現状を改善するために、配線工事を行った。電気工事技師の免許を持っているわけはなく、違反は承知。かくしてコンセントの大幅増設、机上のスタンドも設置が楽になった。
 このような電源改善のさなか、部屋の中を歩くと妙にクッションがよいことに気づいた。床板が古くなって折れているのである。1階部分の床下に潜ってみると、根だや束柱も腐っていて、所々しか床を支えていない。ここで小学校時代の家業が建築業であることが大いに役立った。すでに廃止されていた男子寮の建物の一部を壊し、女子寮の床補修をやってしまった。これで男子寮は、まさに廃屋と化してしまったのではあるが。
 小学校の頃、家を建築することの手伝いをやっていたことは、大変に役立った。女子寮で、朝トイレが混雑している。何事かと問うと、いくつかあるトイレの内、使用できる所が少ないのだとのことであった。ここでもトイレの床が抜けていたのである(もちろんポットン便所)。これも見事に修理。水道の蛇口がよく壊れた。古くてすり切れているのである。水道の配管もできるのです。女子寮の安全面に貢献したのは、風呂場を覗く痴漢対策であった。毎夜バットを持って巡視するのも大変であり、材木を購入してもらって風呂の周りに大和塀を巡らした。ちゃんとクレオソートで防腐処置をしたので、相当な期間もったはずである。

食生活改善
 大工さんばかりやっていたのではない。舎生の食生活改善もやりました。食事の環境が劣悪でした。近くの食料品店が食材を配達し、それを寮母さんが調理してくれるのだが、食料品店が売れ残ったような物ばかりを納入するのである。野菜などはまるで「豚の餌」状態であり、納入された段階ではみるも無惨な状況。寮母さんの見事な調理によって食卓にあがった段階では、しなびたキャベツも煮物に仕上がっているので気が付いていなかった。生徒たちと話し合った結果、彼らが献立を決めて毎日買いに行くことになった。その結果は見事な成果となり、連日すばらしいメニューが食卓に上ることになった。少し労力をかけることによって大きく改善できることがある。

英語塾
 舎監室から出ることができないので、舎生を舎監室に来させることを思いついた。英語や数学などを教える塾を開催することにした。学年も異なるし、あまりたくさんの生徒を教えることもできないので、条件を付けて一部の生徒に教えることになったのだが、これが結構やっかみを引き起こし、来塾する生徒とためらう生徒集団の間で心理的なトラブルが発生した。「何時から何時まで、○○さんのサンダルが舎監室の前にあった・・・」 難しい物である。以後、試験期間が近づいた頃だけに限定して開催することにした。

 この2年間の生活は書ききれない。書けないおもしろい話もあるのだが、ここまでとしよう。