横  笛

きっかけ
小学校の鼓笛隊では横笛を吹いていた.
横笛は縦笛に比べて音量が大きく、結構重要な位置をしめていた.
横笛を吹くようになった理由はただ単に笛を持っていなかったからである.
鼓笛隊では、太鼓などは準備されていたが、笛はほとんどの生徒が自前のものを持って参加する.
しかし、笛を持っていない人のために若干数は準備されていた.
その中に横笛があった.

早くきた人は縦笛を取るので、少し遅れると横笛しか残っていない.
吹ける人が居ないからである.
しばしば横笛を持たざるを得ない状況の中、やがて音が出るようになった.
かくして小学校備品の横笛は小生の専用楽器となった.

横笛の収集マニア
楽器店に行ってみると、横笛はプラスチック製のスペリオファイフと呼ばれるスタンダードなものの他は、銀色に光るフリュート・ピッコロそして竹製の民笛がある。
フリュートはとても手が出ないが民笛はちょっと頑張れば手が届く.
買ってみるとなかなか趣のある音が出る.
いろいろな民笛が欲しくなり、最盛期には10本程は集めていたように思う.
今、これらの笛は1本も残っていない。
事故で唇を怪我してしまい、上手に音が出なくなってしまい、欲しい人にわけてしまったからである。

人生の分岐点
中学校の頃からフリュートが吹きたい気持ちが強くなった.
その頃、フリュートの最も安いものが、1万5千円程度であったように思う.
大卒の初任給が1万円前後の時代であるから、現在に換算すれば、20万円ほどのものだったのかも知れない.
どうやって貯めたのかは全く記憶にないが、中学校を卒業する頃には買えるだけのお金を貯めていた.

進学した高等学校はブラスバンドで全国的にも有名な学校であり、放課後になると迫力ある演奏が流れてくる.
(・・・少し状況説明が必要です.この高等学校にはすでに3人の姉が進学しており、その内一人は事務員として勤務していたので、小生は小学校の頃から出入りしていたのでした。)ということで、高等学校ではフリュートを買ってブラスバンド部で活動するつもりでした。

 「フリュートを買うぞ!」という私の宣言に、家族は大反対でした。
「音楽では食っていけん」、「他にも買わなければならないものはたくさんある」・・・かくして小生の貯金は「通学用自転車+学費+制服+教科書+・・・」として消えていきました.
 「まあ、とりあえず生物部に入っておこうか」と立ち寄った生物実験室には部屋いっぱいの新入部生が居た.
50人を超えていたかもしれない.
圧倒的に女子が多く、男は5人だったかもしれない.
ここでも我が家と同様に、圧倒的に女性が主導権を持つ世界であった.
ここで過ごした3年間は、その後の人生に大きく影響するものとなった。