質問
 過日、林野庁関係の広報誌上に「極相林は同化作用が弱くて、伐った方が良い」との意見があるのを見て、○○に尋ねたところ、同封のような返事がありましたが、納得行きかねますのでご意見賜りたく・・・・

○○からの返事(一部省略、改変)
 拝復・・・・さて、お尋ねの件ですが、森林は極層になると・・・・若い森林に比べて成長量が少なくなります。森林の植物は光合成によってCO2を吸収しO2を出します。しかし、同様に近い量のO2を吸収しCO2を出す呼吸をします。また、森林の中にいる動物たちも呼吸をし、分解者である小動物や微生物も多量の呼吸をします。このため森林として見かけ上、CO2の出入りがなくなってしまいます。このため「極相林は、二酸化炭素を吸収しない」という表現になります。CO2を吸収するためには、極相を伐って若い林を作ることです。同時に伐った木は、焼かずにいつまでも炭素のかたまりとしておくことが重用です。

お返事−極相林の二酸化炭素の吸収力が低いというのは本当か?−

 植物の群落全体を見るとき、植物の遷移は次のように進みます。

・葉量の増大
 葉の量は次第に増えるように遷移します。裸地では、地面の面積に比べて葉はちらほらといった状態で、1つ1つの葉は十分に光を浴びることが出来、高い能率の光合成を行います。やがて、草が生い茂ると、葉同士が日陰を作るようになり、やや光合成の能率は低下します。しかし、葉の数を増やす方が、光合成量全体としては多くなるので、さらに葉の数が増えます。
 このような遷移の状況をまとめてみると、草原や若い森林では能率の高い葉が、適当な量あることになり、極相林では能率の低い葉が多量にあることになります。したがって、常緑広葉樹の極相林は葉量が多いために「昼なお暗き森」になるわけです。

・総生産と純生産
 植物も呼吸します。根と茎は通導組織なのでもっぱら呼吸のみ。葉は高合成を行って、生産活動を行いますが、呼吸しているので、消費者でもあります。植物体全体あるいは群落全体の葉が光合成する量を「総生産量」と表現します。総生産量は葉の面積が増えれば増えるほど増加しますが、太陽から到達する光の量は場所によって一定ですから、限界があります。植物群落の遷移は、次第に葉量が増加して総生産を最大にするように、進行します。
 しかしながら、消費者の事を忘れてはいけません。大量の葉を支えるためには、それに見合う根が必要であり、高い位置に葉を持ち上げる幹も消費者です。したがって、草原に比べ、大きく発達した樹木からなる森林は、大量の根と大量の茎(幹)という大量の消費者を抱えていることになります。さらに、実は葉も夜間は呼吸するので、葉も消費者の側面を持っています。
 総生産量から消費者が呼吸によって使用する量を差し引いたものが純利益ということになります。この純利益を「純生産量」といいます。総生産量は太陽エネルギーの到達量が一定であるために上限がある一方、呼吸量は根・幹・枝の増大そして葉量の増大によって増加するので、純生産量は森林の生長にしたがって、減少することになります。
 若い林では、総生産量は極相林に比べて少ないのですが、根・幹・枝・葉の量が少ないので呼吸量が少ない。このために差し引いた純生産量(純利益)は大きく、余剰利益は樹木あるいは森林の生長へ、種子や果実の形成へと回されます。

イネの作り方
 ここで、少し話題を転換してみましょう。水田でイネを栽培する状況を考えてみます。イネをたくさん植えて、密植すると葉の量が多くなり、たくさんお米が収穫できるということになると考えがちですが、実際にはそうはなりません。株と株の間に隙間がある状況では、1つ1つの株には十分な光が当たるので、1つの株にはたくさんのお米ができるわけですが、株の間が広すぎると単位面積当たりの収穫量は結果的には少なくなります。逆に密植すると、お互いの葉がじゃまとなって葉に十分な光が当たらず、葉ばかり茂って稔りは少ないことになります。したがって、最も多くお米を収穫するためには、適当な株と株の間隔・葉の量の状態があることになります。
 お米のような作物の場合、最もたくさん収穫が出来るような葉の量があり、単位面積当たり、3〜4倍の葉の面積がある状態が、最も生産性が高いと言われています。

最も生産性が高いのはゴルフ場  総生産(光合成した量)−呼吸量=純生産量
 純生産量が多い植物群落は、どんどん貯蓄が増えて行くわけですから、どんどん生長し、大きくなります。変化が大きいわけです。例えば水田を放棄すると、数年で大変な量の草が生育するようになってしまいます。元々の植物体の量に比べ、純利益が大変大きいため、次の年には何倍もの植物が生育することになってしまうわけです。
 水田が放棄され、何年も経つとセイタカアワダチソウやススキなどが茂ってきて、落ち着きます。植物同士の競合の結果、葉を高い位置に持ち上げなければ生きていけないので、「茎」という「消費者」を大量に作る必要があります。そのために呼吸量が増え、純生産量が減少してしまったから、次の年に回せる栄養分の量があまり増えないから変化しないわけです。
 このように見てくると、葉と根だけの植物がたくさん生えている状態が最も高能率であることになります。その状態が芝生です。きれいに刈り込まれているゴルフ場の芝生は、毎日同じ姿をしているようですが、実は頻繁に刈り込んで大量の葉を捨てているのです。

ダイエーの行く末
 大手スーパーのダイエー、出発は個人商店でした。意識と能力の高い個人が経営する個人商店は売り上げの総額(総生産)は大したことはなかったが、給料は自分だけに支払えばよく、残りの純利益(純生産)は比較的たくさん残りました。このために資金は潤沢で、商店は発展し、従業員をたくさん雇って、たくさんのチェーン店を出すようになりました。
 この段階では、店(葉)が増えてそれに伴い総売上(総生産)も順調に増えていきました。安売りの店が出現したことは、荒れ野原に突然バイタリティあふれる帰化植物が定着したようなものだったでしょう。
 ダイエーのチェーン店がたくさん増え、類似したコンセプトのスーパーも林立し始めると、類似したコンセプトの店(類似した生育形の植物)同士の競合が始まります。その結果、店(葉)を増やしても、その割には総売上が増加しない状態になってしまいます。生存競争が激化すると、売り上げの低い店は閉鎖されることになります。お客さんの数(太陽からのエネルギー)は一定ですので、店がたくさん出来ると当然の結果ではあります。会社が大きくなると、ビルを建設したり、管理業務などに多くの人材が必要になります。これは植物の茎に相当する部分で、直接生産に携わらない消費者です。利益率は低下し、更に大きく発展することは困難になってしまうわけです。

再び、森林の遷移と生産について
 まとめれば、農業は純生産を最大にする技術であり、自然の植生遷移は総生産が最大になるように進む、ということになります。純生産が多い植生は日々年々姿が変わり、生長していきます。極相林は将来的にも変化しない森林であるわけであり、純生産量はゼロであるはずです。
 極相林の純生産量がゼロであるということは、森林全体の話であり、個々の植物は枯れていくものがあったり、その跡にどんどん生長していく若木があったりしますが、森全体としては、変化がないように見えると言うことです。

二酸化炭素の吸収は極相林には期待できないか?
 空気中の二酸化炭素は、地球温暖化の元凶とされています。空気中の二酸化炭素を除去することに関しては、極相林は貢献できないことになります。大きく生長した極相林は大量の能率の悪い葉を持っており、なによりも大きな茎が消費者です。その他、豊かな土の中には多くの土壌動物が生息しており、これらも呼吸して二酸化炭素を放出します。
 長い年月かかって大量の炭素を蓄えている極相林ですが、極相林に達した段階で、ほとんど二酸化炭素を余分に吸収する能力はないようです。

極相林は無意味?
 二酸化炭素の光合成による吸収量と、呼吸による放出量が釣り合ってしまっている極相林は、大気中の二酸化炭素を減少させる役割は、どうもないようです。そのようなことから、極相林中の大木を抜き切りして若返らせ、二酸化炭素の吸収力を高めよう! といった考え方が出てくるわけです。確かに二酸化炭素吸収能力から言えば、そのような対応が正しいかも知れません。しかし、大きく育った樹木からなる極相林の役割は二酸化炭素吸収だけではありません。よくは知りませんが、大きく育った樹木でなければ生息できない動物たちもいるはずです。
 二酸化炭素の吸収だけで考えるならば、ゴルフ場にその役割を担わせるべきです。貴重な石油を消費して刈り取った草は、現在は焼却炉行きです。それでなくても貴重な自然林に二酸化炭素吸収の役割を担わせる必要はありません。堤防の刈り草や放棄水田など、もっと能率が高い植生にその役割を与えるべきで、極相林を抜き切りして二酸化炭素吸収能力の回復をさせるような、能率の悪い事を考えるべきではないでしょう。極相林には、もっと他の役割があります。

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