鷲羽山の植生
鷲羽山は瀬戸内海国立公園の景勝地としても有名であり、もちろん本四架橋の本州側出発点として知られている。
海から見ると鷲が羽を広げた形に見えることから、鷲羽山の名前が付いたという。
正面の遠景に見えるのは四国の屋島などであり、この多島海を見れば、確かに橋を架けたくなるのも無理はない。
この地域の地質は、花崗岩であり、保水力が低い。
古くから燃料採取などのために森林が伐採されてきたので、島もふくめ、広い地域が禿げ山となっていた。
現在の森林は、積極的な治山植栽によって回復してきたものであるが、尾根筋などでは現在でも禿げ山が残っている。
特に尾根筋の植生は貧弱であり、樹高数m程度のクロマツが主体である。
土壌は浅く、風化花崗岩の「真砂」がそのまま土壌となっていることが多い。
未熟土の典型である。
降雨によっても雨水がしみ込みにくいようで、豪雨の直後に土壌調査を実施しても、土壌中にはあまり水が含まれていない。
鷲羽山においても、1997年(平成9年)1月3日に山林火災が発生し、20へヘクタールが焼失してしまった。
禿げ山に近い場所では燃焼する燃料そのものが少なく、部分的にマツが生き残った。
このような生き残ったマツから種子が散布され、マツ林が回復されることになる。
王子ヶ岳のような、ワラビの優占群落となるような場所は、このような禿げ山に比べて、土壌が良好な場所である。
上の写真は終戦直後に米軍によって撮影された航空写真である(1948年)。
ほとんどの地域が白く写っており、禿げ山が広く広がっていることがわかる。
北斜面の一部には黒く写っている場所があり、森林が残存していることがわかる。
北斜面は乾燥の程度が少ないために植生が発達しやすいのである。
それにしても、大変な植生破壊である。市街地に近い北斜面の山裾から中腹までは段々畑となっている。
サツマイモでも栽培していたのであろうか。
食糧の確保と燃料採取のために、ほとんど無林地となた場所が広がっていたことがわかる。
上の写真は本四連絡橋ができる前の航空写真である。
南斜面の尾根筋には依然として禿げ山があるものの、緑は回復している。
伐採をやめると、30年ほどで、十分ではないものの緑が回復している。
1995年の航空写真では、瀬戸大橋が開通し、南斜面の森林も発達し、禿げ山の部分は少なくなっている。
(しかし、この後1997年に山林火災が起こるわけである。)
北斜面は緑の色が明るく、松林ではないことがわかる。
畑の跡地に植栽したクロマツがマツ枯れ病によって枯損し、広葉樹林へと変化したことがわかる。
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