自家受粉 self pollination



 花は他の個体と遺伝子を交換するためのものである。しかしながら、不幸にして他の個体が生産した花粉によって受精することができない場合もある。そのような場合には緊急避難的措置として自らの花粉によって受精する事によって、子孫を残す手段が取られる。これが自家受粉である。自家受粉は確実に子孫を残せる方法であるが、これに頼りすぎると花を作る意味がなくなってしまう。自家受粉への対処のあり方は、植物の種類によって異なっている。

雄性先熟と雌性先熟
 植物は自らの花粉によって受精してしまわないように様々な工夫を行っている。1つの花に雌しべと雄しべがある両性花では自分の花粉が雌しべにかかってしまう危険性は非常に高い。この危険性を回避する対策の1つとして、1つの花の雄しべと雌しべの成熟時期をずらす方法がある。雄しべがまず成熟して花粉を放出し、その後に雌しべが成熟するタイプを「雄性先熟」といい、逆の場合は「雌性先熟」という。
 例えば、秋の七草の1つであるキキョウは、開花した直後は雌しべはまだ成熟しておらず、雄しべが先に成熟して花粉を放出する。花粉が放出されると雄しべは倒れてしまい、その後に雌しべが成熟する。ノアザミも同様に雄性先熟であり、花粉が放出された後に雌しべが出てくる。ホオノキは逆であり、開花した1日目は雌しべが花粉を受け入れ、2日目以降は雄しべが成熟して花粉を放出する雌性先熟である。1つの花が雄花から雌花へ、あるいは雌花から雄花へと変化していると考えればわかりやすい。
 このような雄しべと雌しべの成熟時期をずらす方法は、多くの植物で行われており、1つの花が長い日数開花する植物では、一般的な自家受粉回避方法ではないかと思う。
開花直後のキキョウ雄しべが枯れたキキョウノアザミ(中心部の花は雄しべが花粉を出しており、周辺は雌しべが伸びている

免疫的自家受粉の回避
 1つの花で雄しべと雌しべの成熟のタイミングをずらしても、1つの個体に多数の花が咲く場合には、自家受粉の危険性は回避できない。自分の花粉を判別し、雌しべの柱頭に付いても発芽させない方法があれば、自家受粉を回避できる。ナシの品種の1つである「二十世紀」は1本の突然変異種から接ぎ木によって増やされたものである。したがって、二十世紀ナシが何本あっても、実は1本の枝から接ぎ木されたもので、遺伝的には1個体であることになる。二十世紀ナシは二十世紀ナシ同士では受粉しても受精に至らず、その後発達しないので果実ができない。二十世紀ナシをならせるためには、他の品種の花粉を受粉させてやる必要がある。モモやナシの産地では、開花期には人工的に受粉を行う大変な作業が必要である。
 サクラソウは美しい花を咲かせる多年草であるが、結実には異なる系統の個体から供給される花粉が必要である。従って、個体群間の訪花昆虫の移動が阻害されると、花は咲いても種子ができにくい。サクラソウを保護するためには、生育地だけではなく、訪花昆虫の往来が可能な周辺環境の連続性が必要である。

最後の頼みは自家受粉
 手間暇掛けて花を作るのは他の株からの花粉を得るためであるが、近隣に同じ種が生育していない場合や、花を咲かせても虫が訪れてくれない場合もある。そのような場合には、緊急避難措置として自家受粉を行うことができれば、一応種子を形成することができ、最低限の目的は達することができる。二十世紀ナシのように全く自家受粉しない植物もあるが、簡単に自家受粉する植物もある。開花した直後は他家受粉を目指しているが、なかなか受精できないと自らの雄しべを曲げて雌しべの柱頭に引っ付けて自家受粉してしまう植物もある。このように自家受粉しやすさは植物の種類によって異なっている。
 研究室に1本のマンリョウがある。次第に大きく成長して花を咲かせるようになった。6階のほとんど窓を開かない環境の中ではあるが、立派に果実を付けている。自家受粉に違いない。アメリカでは、観賞用に導入されたマンリョウが森林の林床で大繁茂し、有害侵入植物として駆除の対象となっている。このような異国の地での大繁茂は、訪花昆虫がいなくても種子を形成できるためかもしれない。暗い森林の中、訪れる昆虫がいなくても種子を生産できるように対応できている。
 イネも基本的に自家受粉である。開花した直後に自らの花の花粉で受精してしまうので、異なる品種を隣接して植えても交雑してしまう危険性はほとんどない。このようなイネの性質は、栽培種としては大変便利な性質であり、人為的に自家受粉しやすいものが選抜されたのであろう。
(おそらく)自家受粉によって形成されたマンリョウの果実

自家受粉の遺伝子多様性
 自家受粉は自らの花粉で子孫を作るのであり、自分と同じ遺伝子を持った種子が形成されるかというと、そうではない。クローンとは違うのである。純系の個体ではクローンと同じになるはずであるが、異なる遺伝子を持った個体から形成された個体では様々な遺伝組成を持った卵細胞と花粉が形成される。従って、自家受粉しても多様な組み合わせを持った種子が形成される。しかしながら、その多様性は他の株から供給された花粉による場合よりも低く、また新たな遺伝子の組み合わせによる飛躍的に進化できる可能性も低い。
 形成される種子の遺伝子の多様性からいえば、「他家受粉>自家受粉>単為生殖>無性生殖」の順となるが、確実に種子を形成する観点からは、この順番は全く逆順となる。多様な環境に対応でき、新たな環境にたいして適応できる種子を形成するためには多様な遺伝子組成を持つ種子群を形成することが有利であるが、確実に種子を形成するためには無性生殖が有利である。植物にとっては全く相反した要素の選択を迫られているわけであり、それぞれの植物の戦略によって、何に重点を置くかは異なっている。


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