06/09/12 9月6日の深夜、60万

 アクセスカウンターが、9月6日の日付が7日に変ろうとする頃、60万を達成した。50万が2月22日の19:00頃であるので、7ヶ月弱で10万アクセスということになる。間にかなりの休止期間があるので、年間20万アクセスということになろう。

 スイスでの撮影画像は3200枚ほど。整理するのに大変な時間がかかる。特に植物写真は種の同定に難儀です。スイスの国語はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つとのこと。苦労して探した書店の図鑑はドイツ語。昔、大学生であったころの第二外国語として学んだのがドイツ語ではあったが、さび付いてしまっている。解読する気力がなく、購入せずに帰ってきたが、失敗であった。ちゃんとした図鑑を求めておくべきであった。日本の簡易図鑑もそうであるが、肝心な類似種の区別点が記載されていない。見当をつけてネットで検索してみると、さらに状況は劣悪で、花の画像ばかりで葉が掲載されていない。四苦八苦である。


06/08/08 体調不良、サーバー不調、ちょっとスイスへ

 今年の春から、体調はよろしくない。正確には気力というべきかもしれない。気力が続かず、一つの仕事に時間がかかるようになり、結果的には仕事が進まず、ますます時間がかかって能率が低下する。男の更年期という意見もあるし、簡単に言えば年なのだという指摘が最も正しかろう。
 何がどうなったのか、お医者さんもよくわからないらしいが、久々に救急車に乗った。親族で楽しく夕食を食べたのだが、その夜に猛烈な腹痛に見舞われた。今までに経験したことのないほどの痛みであり、致し方なく119番ということになった。しかし面白いもので、病院に到着する頃には収まってしまい、2時間ほどで帰宅ということになったしだい。ストレスが原因との話もあるし、単なるボタンの掛け間違いという話もあった。要はわからない。当分おとなしくしていたが、再発の兆しはありませんので・・・・
 電源の調整などのために予定された停電があり、サーバーをシャットダウンした。停電が終了して電源を投入したものの、HPを見ることができない状態になってしまった。マザーボードのLANがつぶれているらしい。これを取り替えると復旧したものの、ほぼ2日間はストップしたままであった。ご迷惑をおかけいたしました。
 台風7号が関西空港を狙っている様子ですが、明日からスイスで高山植生を見てきます。天気はどうか、どの程度植物がわかるか不安ではありながら、ストレス解消となりや小や・・・・・


06/03/03 広島大学豊原源太郎氏 退官記念パーティ

 3月3日のお雛様の日、広島大学において豊原源太郎氏の最終講義と退官記念パーティが開催された。残念ながら、小生は最終講義を聞くことはできなかったが、パーティにはぎりぎり間に合った。

 昭和45年(1970)の助手就任から、宮島自然植物園へとの36年間の広大教官生活ということになる(数字は不正確かもしれない)。当時、極相林が研究対象であった時代、森林の大半を占めている二次林の研究に取り組まれ、群落区分、植生図化の理論展開など、大きな貢献をされたと思う。特に広島県の二次林に関する研究では、広島県を埋め尽くすメッシュによる調査を実施された。その研究姿勢は頑固といっても良い。このような嘗め回すような調査に立脚した成果は、いくつかの変遷を経ながら、遷移の方向を見定めた群落区分へと発展した。

 豊原さんのアカマツ林の研究は、燃料革命以降の二次林の遷移をつぶさに観察できたことになる。放置された二次林は次第に遷移し、その間には劇的とも言える松枯れ病によるアカマツの大量枯損もあった。これらの結果、豊原氏の植物社会学的成果は、基本的に正しいものであることが実証されたと考えている。二次林の研究手法に関し、高い成果を上げていると評価されるが、残念ながら氏の成果は広く流布しているとは思えない。しかし、正しいものは生き残り、やがて広がることになろう。

 植生調査のあり方、独特ともいえるほどの厳密な表操作法・・・今後とも多くの研究者に影響を与えていくものと思う。ますますのご発展をお祈りする。

 追記:ちょっと体重オーバーです。学生時代、豊原さんと走って山を登ったことを思い出す。野外調査に励み、本来の体重に落とすべし。

06/03/01 サーバーの更新! カウンター50万 「卒業式にサクラを!」

 長らく懸案であった、サーバーをリプレースしました。以前のサーバーは、ログを完全に記録するシステムになっており、予想を上回るアクセスのため、十分に余裕があったはずのログの記録エリアがあふれてしまい、アクセスがあった際に、書き込みたい! 書く場所がない! といった状態になっていたものと思われます。アクセスができても、画像がなかなか送られてこず、イライラされた方も多かったものと思います。今回のリプレースには、大橋さんのご尽力をいただきました。感謝!感謝!です。
 この間、06/02/22にカウンター数は50万を超えました。8ヶ月ほどの期間で10万件ということになりますが、最近は画像がなかなか送られてこないことから、ずいぶんとアクセス数が減少していました。今後は、復帰するのではないかと思います。

 ところで、昨年の大学祭の前、「大学祭にサクラを咲かそう」という、学生の試みがあった。台風の後などでサクラが狂い咲きするのを見て、加温すれば11月にサクラの花を咲かせることができるのではないか! といった趣旨であったようである。初秋の紅葉しかけた葉をすべて取り除き、枝先を加温するためにビニール袋で包んだのであるが、結果としては咲かせることができなかった。この時期、すでにソメイヨシノは休眠の体制をとっており、冬の低温を体験しなければ芽をださない状況であった。

 休眠してしまうと、低温を経験しなければ芽は活動しない。ソメイヨシノなどの大きく育った樹木を低温にさらすのは簡単ではないが、イチゴなどの栽培では普通に冷蔵庫に入れて冬を経験させて開花させている。イチゴが年中食卓に上る所以である。最近は、ビニールハウスで加温し、ミカンやサクランボが栽培され、出荷されている。果樹は背丈を低く育てることができるので、ハウスに入れるのも容易である。

 大学祭にはサクラを咲かせることはできなかったが、卒業式ならばどうにかなろう! ということで、リターンマッチが計画された。卒業式は3月20日であるので、2週間程度早く咲かせることができればOKである。十分に低温を経験しているので、加温すればよいはずである。ターゲットになったソメイヨシノは、比較的小さなものではあったが、樹高計で測ってみると、5mを超えていた。これは大変! 結果的に、工事用の足場で本格的な囲いが建設されることになった。

 温室の中には、小さなファンヒーターを置いて冷下にならない程度の加温を行った。しかし、結構暖かく、外気温との差は常に数度あった。なかなか芽は大きくはならなかったが、本日「先生 大変なことになりました」と学生さんが飛び込んできた。芽が動き出しているとのこと。開花まじかである。満開予定日は3月20日、開花は3月の15日程度でどうであろうか・・・と考えていたのでちょっと早すぎ! どうやら、温風器からの風が当たる付近の枝が動き出しているようである。さて、これからは早過ぎないように、微妙な手加減が必要である。


左:大学祭にサクラを! でも咲きませんでした(05/10/27) 右:温室ができました(06/01/26)


05/07/22 空梅雨後豪雨

 今年の梅雨の前半は降水量が少なく、旱魃の兆しがあった。冬草はからからに枯れはて、どうなるんだろうと思っていたら、後半は集中豪雨的な降り方で、ほぼ例年通りまでの雨量で梅雨明けになった。道端の植物は、旱魃だったのかしら、といった風情で生育を再開している。
 7月の中ごろから、サツキが随所で咲いているのに出会う。本来ならば、6月の始め頃から咲く花であるが、雨がほとんど降らなかったために花を咲かせることができなかったようである。梅雨明け直前の降雨によってようやく葉を出し、花を咲かせることができたのではあるが、今度は梅雨明け直後の猛暑、36℃程度の酷暑である。花はしおれ、なんとも暑そうである。

05/06/28 カウンター数 40万達成

 本日の12時30分前後であろうか、アクセスカウンター数が400000を示したはずである。最近の伸びは著しく、5月から6月の平均では、700件/日程度のアクセスをいただいている。その結果、ログが大量に溜まってしまい、オーバーフローフローしてしまった。ログの解析に20分程度もかかってしまっており、そろそろCPU の速度向上とHDの容量増大のため、サーバーの入れ替え時期が到来したということであろう。前回の入れ替え時点からは、想像もできないほどのアクセス増加である。

 HPは、白色の花や地味な植物のアップを試みてみた。トップページは、落ち着いた色合いとなり、なかなかのものである。このような方針で考えてみれば、夏に咲く花には白色のものが多いように思えてきた。夏の気温が高い時期には、夜間に飛ぶ昆虫類が多いため、夜によく目立つ白色の花が多いのかもしれないと思うが同であろうか。

 それにしても、雨が降らない。これほど雨が降らないと、山の樹木が枯れると予想される。11年前の大干ばつよりも降水量が少ないようで、森林が枯れるのを11年ぶりに観察できそうである。河川の水位も大幅に低下しており、ツルヨシが枯れると思われる。河川の異常低水位に関する研究も面白そうである。多くのため池も干上がるものと思われ、外来魚の駆除にはまたとないチャンスであろう。


05/03/31 生態学会に参加して

 今年の生態学会では、役員会が開催された27日の朝9時から30日の昼過ぎまで、長い間の学会参加でした。学会関係の業務が結構忙しく、学生さんたちの面倒はまったく見ず、人を探しての気ぜわしい状態。本年度は夏に釧路で、3月に大阪での学会開催となり、1年間で2度なので参加者は少なめだったとのこと。さすがに、5月の地区会、8月の生態学会、10月の植生学会、3月の生態学会ということで、弾を撃ちつくして今回はゼミからの出展はなし。心穏やかな学会参加というはずでした。
 今年の生態学会もシンポジュウムが中心で一般の口頭発表は少なくなり、非常に多くのポスター発表ということになりました。シンポとポスターの開催時間が重なっているので、見たい講演・ポスターを見るのはほぼ不可能な状態。おまけに、ポスターはランダム配置といってもよい状態で、興味ある内容にたどり着くのも大変な状況。更なる学会の発展は、好ましいのかどうか・・・・ 
 研究の内容と方向性は毎年動きがある。今年の印象は、今まで以上に、具体的な生物名が出てこない発表が増えてきたことである。もちろん、個体群や2種の生物の関係などに関しては、従来からあまり多くの生物の名前が出てこないのは当然であるが、多くの生物の関係を取り扱っている群集関係の研究においても、研究の目的・方法からいきなりモデルの構築とそのシミュレーション結果が提示されるものが増えている。どうも、生き物と付き合わず、コンピュータと睨めっこしている姿が見えて仕方がない。これでいいのだろうか・・・・。少なくとも、われわれはそのような道は歩かないつもりである。
 来年の学会は新潟、そしてその次の学会は四国の愛媛大学で開催していただけるということになった。新潟では東アジア生態学連合の学会も同時開催ということになり、より国際化が求められることになる。その次は九州地区での開催という予定だそうである。学会では、ようやくのこと事務局を設け、専任の事務員をおくことになった。専従の事務局が誕生することにより、学会の開催などに関する業務では、かなりの労力軽減になるものと期待されます。また、専用のサーバーが設置されることになり、学会関係の情報交換が容易になるとともに、地区会のHPも立ち上げることになるとのこと。地区会内での情報交換が容易になるものと思われます。
 ところで、懇親会はお座敷での開催という初の経験でした。食べ物が十分であるという点も初の経験。46人乗りのエレベーターにもびっくりしましたが、思い起こせば46人乗りのエレベーターには何度か乗ったことがございました。さすが、大阪!でございました。

会場の一部分;とても会いたい人には会えません・・・・・

04/06/07 地域環境功労賞

 先月末、県庁から突然の来訪があり、地域環境功労賞を受賞することが決定したので、東京に行ってくださいとのこと。環境大臣表彰ということだそうである。そのような表彰は成果が出た時、そろそろ現役引退する頃、と思っていたのでなんとも面はゆい感じである。環境週間の中、運悪くというか月曜日に予定が入っていなかったので東京で開催される授賞式に出席することになってしまった。案の定、最年少・・・。

04/06/04 細見谷林道整備に関する委員会がスタート

 大朝・鹿野線 戸河内・吉和区間の林道整備事業(緑資源機構)の環境保全に関する委員会が広島で開催されました。10分間の休憩を挟んだだけの4時間連続で、数多くの資料と本命の5cmほどの厚さの調査報告書を超スピードで説明していただきました。小生としては、生態学会がこの地域の渓谷林の貴重さゆえに、林道の整備が大きな影響を与える可能性が高いとして、中止を求める要望書を総会決議として提出していることもあり、重荷を背負っての委員会出席となった。
 コンサルタントによる調査結果は、調査回数がやや少ない印象があるものの、なかなかのものと思われた。しかし、来訪の回数が多い自然保護団体からは不備を指摘される可能性は高いかもしれない。とはいえ、林道整備の影響を評価するには、十分に近いレベルではなかろうかと思えた。
 調査結果を見ると、細見谷の自然度の高さが如実に示されている。注目すべき動植物の分布図は、林道周辺を埋め尽くしているかのように見える。林道を拡幅整備すれば、影響は免れないことは明白である。現状をほとんど拡幅せず、水条件を変更せずに工事を行うことができるであろうか・・・・。次回の委員会では、具体的な工法が提示される予定である。
 林道が整備されると、大量の車が殺到することになる。現在では本格的な四輪駆動車しか入ることができない道路であるが、整備されるとはいえ1車線の道路に多くの車が走行すれば、どのような事になるであろうか? 紅葉や新緑時期の来訪者は急増するであろうが、単に交通渋滞が発生するだけでなく、様々な影響が考えられる。

細見谷渓畔林(西中国山地国定公園)を縦貫する大規模林道事業の中止および同渓畔林の保全措置を求める要望書 


04/05/23、23 生態学会地区会 −徳島大学で中国四国地区の生物系3学会が開催されました−

会場費の徴収 −独法化の影響がこんなところに−
 国立大学の独立法人化にともない、学会による教室使用の場合でも会場費が徴収されることになり、13万円ほどの開場しよう料金を支払ったとのこと。小さな規模の学会としては、大きな痛手であった。会場費をぎりぎりにまで削減するため、前日からの準備もできず、当日朝からの時間のない状態での準備、懇親会経費の削減など、開催県のご苦労は大変なものであったと思います。謝々!

高校生のポスター発表
 様々な議論があったようですが、今年も昨年に引き続き高校生によるポスター発表が行われました。合計15件の発表がありました。内容や到達度に関しては様々なレベルがありましたが、将来への発展に期待できるところが大きく、楽しみなコーナーでした。生態学会では、今後とも支援していくことが確認されました。

生態学会総会
 本年度の予算などが審議されました。自然保護関係に関しては、上関原子力発電関係の現状報告に続き、十方山林道関連について議論が行われました。近々、建設の影響評価に関する委員会が開催されることから、今後の方向性に話題が集中したわけです。委員の一人に地区会長である波田が就任することになっており、学識経験者個人としての立場と生態学会支部会長としての立場がありえるわけですが、総会としては生態学会としての役割を担うよう、要請されました。また、委員会の公開・情報の公開などに関する要望書をアフターケア委員会として提出することなどが決議されました。


4/02 残念なこと

 3月30日に学園の理事会・評議会があり、終了後は懇親会となった。その中に任期を終える直前の学長の姿もあり、この3年間の労をねぎらう人々と談笑され、各テーブルを回られていた。7時頃に懇親会も打ち上げとなった。学長とは翌日の31日に最終の打ち上げ:反省会を行うことになっていたので、それでは明日・・・・と挨拶を交わして別れました。
 学長が急逝されたとの話が伝わったのは31日の午前中。当分信じられなかった。昨夜は上機嫌で酒を酌み交わしていた姿と急逝されたことがスムーズに一致するはずはない。昨年から心臓に不安を抱えていらっしゃったことは知っていたが、現実のものとなってしまった。63歳、早すぎるご逝去でした。


3/30 地区会会長選挙

 29日、16:00〜 西本 孝氏(岡山県自然保護センター)、益田芳樹氏(川崎医科大学)の立ち会いのもと、日本生態学会中国四国地区会長の開票作業が行われました。開票の結果、小生が会長に選任され、2年間続投させていただくことになりました。これまでの2年間は会長らしい仕事もできず、名前ばかりでしたが本年からの2年間は林道や原発、アユモドキなどの自然保護管形のテーマが目白押しであり、それなりの活動が必要な期間であると認識しております。よろしくお願いいたします。


3/24 会議の数を数えてみました

 来年度の予定を整理する中で、この1年はどれくらいの会議があったのだろうか? と気になりました。
手帳に書いている予定をジャンル別に数えてみると、次のようになりました。

 学部長としての会議(学部長等会議、大学協議会、評議会、教授会、各種委員会・・・・・など):197回
 学科関係会議(教室会議、学科イベント、大学院関係など):37回
 社会貢献(学外の委員会、出前講義などの教育貢献、コンサルタントとの会合など):68回
 その他(学会、マスコミ取材など):15回

 合計 317件の日程が記載されていました。これに講義などは含まれていないので、これを加算すると約380件という日程件数でした。日曜日や休日などを除外すると、1日に平均2件程度の予定があったことになります。尋常な状態ではないですね。4月から、学部長としての仕事部分の全部がなくなるわけではありませんが、半分くらいにはなることを期待して・・・。


3/23 ソメイヨシノが咲き始めました

 卒業式も終わり、ヒサカキの花の香りのする中、ソメイヨシノがほころび始めました。冬芽も膨らみはじめ、春本番も間近となっています。卒業式の後の打ち上げではリュックを頂きました。山を歩いてくださいとの意味に取れ、泣けてしまいました。足慣らしに歩いてみると、持久力が著しく減退していることに我ながらびっくり!毎日何度も標高差30mの会議室まで通っている程度では、瞬発力のみが残っており、持久力がなくなっていることに驚愕・・・まさに要リハビリであり、フィールド屋としてはまことに情けないことではあります。
 卒業式の翌日はアズマイチゲの群生地をみてきました。予想通り、かなり歴史のあると思われる栗園でした。昔から丁寧に下刈りされていました。段々畑として使われた時代もあるのではないかと思いますが、除草剤などは使われなかったのであろうと思います。昔は話題にもならず、地元の人たちだけに楽しまれてきたのでしょうが、森林からの人間の撤退によって、このような環境は、意識して守らないといけない時代であることを今更ながら実感します。


3/16 長らく、HPのアップを休んでいました

 2月になって、忙しい日々が続きました。1日に数回の会議があるのは普通の状態になってしまい、例年にない忙しさ。そのような中、3年間の学部長の任期を無事終えることができる状況となり、現場復帰できることを期待しています。ほとんど山を歩くことができなかったために体はずいぶんとなまっており、トレーニングが必要です。
 4月からは自然植物園園長という役割を担うことになりました。岡山理科大学は約20ヘクタールの面積を持つ「自然植物園」があります。植物園といっても特別な施設があるわけではなく、ただ単に20ヘクタールの森林があり、その中に散策道があるといった程度のものです。しかし、私にとっては自然のままであることが大切です。この自然植物園は国有林を払い下げてもらったものですが、購入当初の段階から調査し、書類を書いたりして係わってきたので、それなりの思い入れがあります。大手を振って、山に出勤できるわけで電話は通じなくなる可能性がありますよ!(今までと同じですね)

 じっくりと観察し、今まであまりアップしてこなかったシダ植物やスゲ属植物にスポットをあててホームページを作成することができると思います。ホームページといえば、アクセスカウンター20万は、卒業生の木戸君がゲットしたとの風の噂。2月7日のことです。10万から20万までは1年と1ヶ月弱というスピードだったわけです。長らくアップしませんでしたが、アクセス数はほとんど減少せず、たくさんのご利用を頂いております。


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