2014年の談話室

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11/04 秋になりました カウンター 1,440,337


今年の夏は天気が不順で、8月の降水量は平年の3倍であった。
気温が高い8月は、植物は水不足で大変な時期なのであるが、
今年の夏は熱帯雨林のようで、雨を利用した植物も多かったのではないかと思う。
ドングリは豊作で、大変な量が落ちてくる。
毎日のランニングコースはドングリだらけで走りにく。
まずはコースの掃除から仕事が始まる。

カキも豊作で、枝も折れんばかり。
昨年はクリの落果が著しかったが、今年はたくさんなった。
果物全般としては、糖度は別として、量的には多かったのであろう。



2014年、10月25日
今年も前島で卒論・修論中間発表会を開催した。
初日は日付がかわって、朝の3時に終了。
2日目は朝から13時までの発表で一応終了。
発表が終わってからの巡検がこの山林火災跡地。



火災の発生は2012年の12月8日
花崗岩地域であり、コシダの枯葉が堆積したアカマツ林は一気に燃え上がり、かなりの面積が焼失した。
その後焼失木によってしがらが組まれ、部分的には階段工法が実施された。
本年(平成26年)の3月に樹木が植栽されている。
樹種はウバメガシ、ヤマモモ、コナラ、ヤマザクラ、オオバヤシャブシなどであり
これに自然生と思われるキリ、アカメガシワなどが加わっていた。

火災からの回復はワラビを除いて不良であった。
コシダの枯葉が厚いところでは1mほど堆積していたようで
厚い落葉堆積層の燃焼によって
コバノミツバツツジなどの本来であれば生き残ることが多い種類もほぼ焼死している。
耐え忍んできたワラビと、新たな侵入なのか、埋土種子からなのか、ヨウシュヤマゴボウが大繁茂であった。



この森の歴史を解明すべく、アカマツやネズの切り株からさらに資料円盤を切り取る作業を行った。
のこぎりを使っての作業はなかなか大変で、こんな夕方までがんばりました。

11月2日はトッキ−の結婚式
高梁市のホテルでの披露宴。
新婦の美樹さんは宮城の出身で、トッキーが仙台支社で震災復興の仕事の中での
お付き合いの開始とのことでした。
美しい樹木(美樹)を育てるように、森となるようにお祈りします。



11月3日 文化の日
文化とは関係のない入学試験。
まずは昨年とおりの出だしでした。


08/27  カナディアンロッキー  カウンター:1,432,734
パスポートを眺めてみると7年前の8月8日にカナダに入国していた。
今回の訪問と1日違いである。
前回の訪問ではツアーの申し込みが遅れ、狙ったようなコースが設定できず
ほとんど観光のみの旅となってしまった。
楽しくはあったがわだかまりが残ったものとはなった。
そのこともあって、このたびは観光抜きの山登りが中心。
年齢と体力を考えると、順番が逆であるが致し方ない。

ターゲットはカナディアンロッキー。
岡山空港→羽田空港→成田空港→カルガリー空港という
陸路を挟んだ乗継となって時間が無駄にかかってしまう。
以前より日本人観光客が減少し、関空発の便がなくなったからなのだそうだ。
成田発は7日の16:00到着はその日の10:45ということで
日付変更線を通過するために時差はー15時間
未来に到着するということになる。

〔氷河のあるカナディアンロッキーの峰々〕

出発の時点からゆっくり進む台風11号が気にかかっていたが、直撃は免れた。
海外向けの日本放送で、高知から徳島にかけての地域で大きな被害があったことが分かった。
帰ってきたのは台風が消滅してからであったが、あまり天気は良くなく
残暑もそれほどきつくないようでラッキーであった。

航路はロッキーを超えてカルガリーに着陸するので
飛行の途中にロッキーの峰々を見下ろすことができるはず。
行きの飛行機で眺めることができるにはできたが天候が悪いのか、雲が多くてモヤもかかり
すっきりと眺めることができたのはほんの一瞬であった。

ハイキングのさなか、ガイドがしきりと空気の透明度が低いのを気にしており
山火事のためだとのことであった。
湿気の多い日本の空に比べてそれほど透明度が低いとは思わなかったのだが
帰りの飛行機からの眺めで現状認識は一変した。

カナダ航空のボーイング767はカルガリーを離陸して北西に向かい
アラスカ近辺で太平洋に出る。
その間ずいぶんと長い間、ロッキー山脈の上を飛行する。
氷河を随所に見ることができ、氷河が後退した跡の地形を眺めることができる。
氷期にはほとんどの山々が氷河を発達させていたのであろう。

〔流れ下る氷河〕

現地の移動の際にも森林火災の跡地が見える。
落雷によって発火するのだそうで、基本的に消火活動は行わず、自然鎮火を待つのだそうだ。
山火事生態系として理解されており、山林火災は単調な針葉樹林の世界に多様性を発生させる。
その観点から、意図的に山林火災を発生させることもあるという。

〔白煙を上げて燃えている山林火災〕

さて、帰路の飛行機から氷河やカールを眺めていると、煙が上がっているのを見つけた。
山林火災である。何か所も・・・・・!
広くて激しい地域も見えた。煙が広大な地域をすっぽりと覆っており
強い上昇気流が発生している場所もある。
これでは、季節が変わるまで消えないであろうと納得した。

〔大規模な山林火災〕


05/08  倒木と落枝  カウンター:1,417,768
4月14日、川崎市の商業施設でケヤキの枝が折れて落下し
通りかかった3人連れの内
6歳の幼稚園児が頭に大けがを負ったとのニュースが流れた。
長さ9m、重さ20kgという大きな枝であった。
映像で見る限り、枯れ枝であり
その眼で見ればやがて折れて落下することは予測できたかもしれない。

そのほぼ一ヶ月前の3月16日
日本生態学会で広島に宿泊していた。
ニュースで三原市の市芸術文化センターでポプラが根本から倒れ
女性2人にあたって重傷となったことを報じていた。
その後1人は残念ながら亡くなってしまった。

最近、落枝に注目していることもあって
この2つの事故は心に残るものであった。
風の強かった日の翌日には
いつもの散歩道に落枝を整理しに行く。
コナラの落枝は小さいものがほとんどであるが
アベマキの落枝には太さ10cm以上のものも混じる。
こんなものが落ちてきたら大変である。

概してコナラの落枝は小さく
アベマキやクヌギの落枝は大きく長い。
箒形の樹形のケヤキは幹がたくさんあり
生長するにつれてその中の日当たりが悪いものが枯れてしまうことがある。
ポプラは幹の中が腐朽して根元から倒れやすい。

岡山理科大学には開学当時に植栽したポプラが何本もあった。
多きく生長して樹高は20mにも達していたであろう。
実はこのポプラが大変気になっていた。
斜面の上部に生育しており
強風などで倒れてしまうことが心配だったのである。


{5号館と1号館の間の急斜面に生育していたポプラ 2007年}

自然を守るべき立場である小生が大きなクレーンまで持ち出して
大きく育った樹木を伐採するということは
学内ではそれなりに話題となった。
しかしながら、伐採した切り株を見て
納得していただいたと思う。
ポプラの幾本かは中が空洞で太鼓の様であった。
台風が来れば風向きによっては倒れて
甚大な被害を被っていたに違いない。


{六学舎南に生育していた2本のポプラの切り株 2011年3月}


{切り株の大きな洞}

木材を燃料に使っていた時代が終わって60年近くになる。
大きく育った樹木が目立つようになってきた。
重要文化財などに指定された神社仏閣が
境内に生育する天然記念物の巨木によって破壊されてしまうことも
おこるに違いない。
文化財保護審議委員会の委員としては
重要文化財も天然記念物も担当であり
両立させなければならない。


05/07  春本番  カウンター:1,417,499
春は何かと忙しい時期であり
春が急ぎ足でやってきていつの間にか緑色濃くなってしまった。

Windows XPマシンとの入れ替えのさなかのトラブルで
HP サーバーにアクセスできない状態になってしまい改定が遅れてしまった。
本日、ようやくのことで情報科学科の河野先生のヘルプでアクセスが可能になった。
今後はW.7マシンでの改訂作業ということになる。

ほかのデータの移転作業など、大変な仕事が残っており
本格的な作業にはまだ時間がかかりそうである。

ところで、本年のゼミ生は4名。
久々に活発なゼミ室となっている。

03/27 ヒレンジャク・・・・  カウンター:1,411,817
毎日、日の出直後から1時間ほど山陽団地の周辺を歩いたり走ったりしている。
ものすごい数の鳥がテレビのアンテナに止まっているのに気がついたのは3月11日であった。
なに? これ!
1本のテレビアンテナだけではなく
家々のアンテナすべてといった状態で鈴なりであった。



近くの電線も鈴なりで






その結果、電線下の道路は糞だらけ。



元々鳥は不案内で、結構珍しい鳥であることがわかったのは
自然保護センターの難波さんからのメールであった。
山陽団地の幹線沿いにヒレンジャクが来ていますよ!
生態学会で鳥屋さんにこの画像を見せるとまだ見たことがないとのこと。
鳥屋さんも遭遇したことがないという珍鳥ということがわかった。



あらためてカメラを持って撮影に出かけたのは3月15日。
一斉に飛び立ってトウネズミモチに襲いかかり
果実をくわえて電線やアンテナに帰ってくる。
少し時間が経過して再びトウネズミモチに集団で
という繰り返しであった。



実はその1ヶ月前、2月14日にトウネズミモチの状態を撮影していた。
たくさんの果実を稔らせているのに誰も食べてくれない状況を記録しておこうと思ったわけ。
このままいくとどうなるのであろう?



ヒレンジャクの集団がアタックすると見る間に果実がなくなってしまった。
山陽団地にはトウネズミモチがたくさん街路樹や公園木として植栽されている。
このトウネズミモチが毎年大量の果実を鳴らせるわけであるが
ヒレンジャクはそのことを知っているのか
まずは団地入り口のトウネズミモチを食べ
食べつくすとその隣の木を
というわけで団地の中央幹線を南から北に順々と移動し
食べつくすとどこかえさって行った。
おそらく、食べつくしたのは3月16日だったであろう。

トウネズミモチはヒレンジャクを待っていたわけではないと思うが
ヒレンジャクはトウネズミモチのような大量の果実を付ける植物は大好物ということらしい。
しかし、こんな食べ方では種子散布の観点からは食べられると迷惑かもしれない。
来年も会えるでしょうか・・・・・


02/14 雪そして・・・・  カウンター:1,408,083
節分が過ぎて暦の上では春に向かいつつある今日この頃。
日の出の時間も早くなりつつあることが実感できるようになった。
この季節には太平洋側を低気圧が通過し、雪の少ない岡山市でも積ることがある。
今年は、今日までに2回の積雪があった。

〔コナラ-アベマキの林分:一面に積雪している〕

雪の積り方を見て歩くと
落葉樹の下は綺麗に雪が地表面を覆っているのだが
常緑樹の下は雪の量が少ない。
つまり、その分は樹冠に雪が積っているわけである。

〔同じ日、常緑樹の下には積雪がない〕

2月8日の積雪は5cm以上あったのではないかと思う。
いつもの山に行って見ると、案の定たくさんの木が折れている。
当然、常緑樹であり、ヤマモモの被害が大きく、シャシャンボも大枝が折れていた。
もちろん、落葉樹は枯れ枝が落ちる程度で被害はない。

〔ヤマモモの枝折れ〕


〔シャシャンボの枝折れ〕

北に行くにつれ常緑樹が減少するのは雪も大きな要因と思っているのだが
常緑針葉樹となると話は別で、他の理屈を捜さなくてはならない。

雪の中でウメが咲き始めた。
寒いけれども春は近いのである。
こんな時期、体調を保つのが結構大変である。
もう少し頑張れば、暖かい春になるのに・・・・・
訃報がはいるのもこの季節である。

昨年の11月23日
1982年に卒業した掘君が息子を連れて来学してくれた。
彼は1年ゆっくり卒業したので本来ならば小生の卒論生としては2期生である。
好適環境水など、魚類に興味があるようで小生が案内した。
白髪が増えた程度の違いで30年の年月の割には年取っていなかった。


2月10日の朝、電話がなったが内容がいまひとつ理解できず
ホリさんが急死したことを理解するにはかなりの時間が必要であった。
急性jの心筋梗塞とのこと。
57歳での他界ということになってしまった。
雪深い地のことでもあり、救急車も時間がかかったとのこと。
残念なことである。

思えば、彼の結婚式の日も大雪で
関ヶ原付近の徐行で新幹線は大幅に遅れ
名古屋からの特急には間に合わず
行くだけ行ってみようと到着すれば
「先生来たから、結婚式を始めよう」
といった状況で、恐縮したものである。

15日がお葬式ということだそうだが
大学は年度末は繁忙期であって
卒論発表会の席で昔の姿を重ねる以外にない。
ご冥福をお祈りする次第である。


01/16  九州は火山国  カウンター:1,405,204
年が改まり、小生はぞろ目の年齢となりました。
本年中の皆様のご健勝とご多幸をお祈りいたします。

この歳になっても思うことはなかなかできないもので
右往左往して日々こなしている状況です。
その中で、手入れしている里山では毎日発見の連続で
すぐにでも研究中心の生活に戻りたいという気持ちがつのります。

昨年は年末年始の過ごし方を考え始めた時期には
すでに行ってみたい場所への飛行機はまんぱいで
安近短で済ますことにした。



月並みですが、温泉旅行。
湯布院に行ってみました。
温泉も楽しみましたが、目に入るのはやはり植生。
遠くから見る由布岳は中腹より上が白い。
雪が積もっており、登山はやめた方がよさそう。



麓には見事なカシワ林が成立していた。
火入れで維持されてきた放牧地が広がっている。
歩いていくとたくさんのニホンジカに出会った。



なにも考えず、久住連山のどれかに登れないか?
と行ってみたが、当たり前のことではあるが
由布岳よりも遙かに積雪量が多く
登山靴以上の装備を準備していないので眺めるだけで断念。



峠で少し歩いてみた。
点在する盛り上がった低木はアセビであった。
つぼみが紅葉して美しい。
放牧の影響なのであろうか
あるいはニホンジカなのであろうか。
火山と草食獣の存在を強く意識せざるを得ない九州であった。
走行距離数約1200km


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