水のpHと水草



 pHは比較的簡単に計測できるので、水質の計測によく使われている。しかし、実はこれが結構やっかいなものなのである。湿原の水質にpHが重要であるとの昔の文章を読んで、湿原の研究に利用すべきかなり真剣に取り組んでみたが、簡単に使えるものではなかった。その経験をふまえ、解説してみよう。

○水のpHに影響を与える要因
 水の中には多様な物質が溶解している。これらの中で、電解質はpHに大きな影響を与える。CaやNaなどの陽イオン、SO4やClなどの陰イオンはすぐにpHに影響を与えるものとして頭に浮かぶであろう。
 湿原では有機物の分解によって形成される有機酸も大きなものであるといわれている。特に泥炭が蓄積している高層湿原では、かなりpHが酸性に傾くことがあり、「湿原の水は酸性である」といった記述が目立つことになっている。しかしながら、温暖低地に発達する湿原の多くは、中性付近の水質であることがほとんどである。有機酸が大きな影響を与えるほど、蓄積されていないのである。
 このような、水に溶けている物質の中で、意外に考える対象とされていないのが、二酸化炭素である。二酸化炭素は水に溶けると炭酸(H2CO3)となり、弱酸性をしめす。

○二酸化炭素の水に対する溶解度
 二酸化炭素の水に対する溶解度は他の気体に比べて桁はずれて大きい。酸素も溶けやすいガスであるが、まさに桁外れに多量に溶解する。したがって、水の中に二酸化炭素がたくさん供給される環境があれば、水質のpHは炭酸によって大きな影響を受けることになる。

表.酸素と二酸化炭素の水に対する溶解度(cm3/cm3)
温度(℃)
0
20
40
60
80
100
酸素の溶解度
0.049
0.031
0.023
0.019
0.018
0.017
二酸化炭素の溶解度
1.71
0.88
0.53
0.36
-
-


○炭酸は弱酸
 炭酸ガスは水に溶けている時、CO2ガスの形をとる場合と、H2CO3の炭酸となっている場合がある。この比率はpHによって異なる。水がアルカリ性である場合は炭酸の形として存在し、pH8.3以上では100%炭酸の形となる。一方、水のpHが酸性になると、次第に炭酸ガスとして存在する比率が高くなり、pH5.3以下になると、100%炭酸ガスの状態になる。炭酸ガスが水に溶けて酸性になるのは、炭酸の状態の時であり、ただ単に炭酸ガスが溶けているだけでは酸性にならない。ガスであって、酸ではないのである。
 大気汚染でよく問題とされる酸性雨は、pH5.3以下の雨を指している。雨が降ってくる際には大気中の二酸化炭素を取り込み、酸性になってしまうからである。大気中に二酸化炭素の量が少ないのは、雨によって地表に戻されたり、海洋にとけ込んでしまうことが大きい。

                     CO2 + H2O ⇔ H+ + HCO3- ⇔ 2H+ + CO3-2

○池の水は水草の光合成によってpHが変動する
 水草や植物プランクトンは、昼間は光合成する。光合成の材料は二酸化炭素と水であるので、植物がたくさん生育している池などでは、昼間は活発に光合成が行われるので、水中の二酸化炭素は減少し、その結果、pHは次第にアルカリ性になってしまうことが多い。一方、夜には魚などの水性の動物たち、そして植物プランクトンも呼吸を行って二酸化炭素を放出する。池の底ではバクテリアが有機物を分解し、二酸化炭素を発生させる。放出された二酸化炭素は炭酸となり、pHは次第に酸性となる。閉鎖性が強く、浅い池などでは昼間のpHが8を越えることも多い。陽イオンが蓄積し、硝酸イオンなどが生物に吸収されてしまう結果、陽イオンと炭酸イオンが水のpHに大きな影響を与えるのであろうと思われる。
 このように、多くの陸上水系ではpHは昼間にアルカリ性となり、夜間から早朝にかけては酸性となる。もちろん時間によって、そして雨天や曇天などの天候によってもpHは異なる値となってしまう。水質をpHだけで論じる危険性がここにある。
 1日のpH変動の大きさなどは閉鎖系の池などの性質を表すものとしておもしろい。しかし、水温や照度・計測時間などによって大きな影響を受けるので、これらが比較・対照することが可能な実験計画を立案する必要がある。

○水草の光合成は二酸化炭素ガス? それとも炭酸?
 水草が水中で光合成を行う場合、水中から二酸化炭素を吸収する。すべての水草は、二酸化炭素ガスを利用できるが、炭酸も利用できる水草と二酸化炭素ガスしか利用できない水草がある。両者を利用できると、アルカリ性の水から酸性の水まで、広いpHの水質で生育可能であるが、二酸化炭素ガスのみを利用できる水草は、アルカリ性の水質では二酸化炭素ガスの存在割合が低いので、生育が困難である。
 高層湿原などの泥炭が堆積した湿原の中に存在する池では、有機酸が大量に存在し、腐植物栄養といわれる水質となりやすい。色は茶褐色であり、かなりの酸性である。このような場所では水中の二酸化炭素は炭酸という形よりも二酸化炭素ガスとなって溶存している割合が高く、二酸化炭素ガスのみを光合成に利用できる水草が生育できる。湿原にのみ生育するフトヒルムシロなどがこの仲間である。

○被圧水は酸性?
 湿原の水質などを計測していると、最初は酸性であったものが、計測している短い時間でどんどんとpHが中性付近に向かって変化することがある。このような現象は、水の湧出する付近でよくおこる。地下水では、高い圧力によって多量の二酸化炭素が溶解し、過飽和になっている場合があるのである。こんな時は、検水をビーカーなどの容器に取り、揺らし続けると過飽和の二酸化炭素が放出され、やがてそれなりのpHとなる。地下水が湧出した直後は、泡の立つビールのようなものであり、これを揺らして気の抜けたビールにするわけである。結構時間が必要である。

○薄い溶液とたくさん物質が溶けている水
 同じpHであっても、ほとんど物質が溶けていない水の場合とたくさん物質が溶解している場合では、全く意味が違う。蒸留水のpHを計測してみるとわかることであるが、ほとんど物質が溶解していないにも関わらず、中性とはかけ離れたpH値をとることが多い。微量に含まれている無機イオンがpHに大きな影響を与えているわけである。一方、大量の物質が溶け込んでいるにもかかわらず、pHが7である水も存在し得る。例えば、様々な薬品を溶かして作成した緩衝液のpH6とほとんど二酸化炭素以外に溶解していない雨水がpH6であると言うことは、まったく意味が違うはずである。
 pH値として示されているものが、何者を表しているのかについては、溶けている原因物質の特定やその量の計測が必要となる。


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