瀬戸大橋と環境アセスメント
日本で最初に実施された環境アセスメント(閣議アセス)は、本四連絡橋−児島・阪出ルート−と青森県の「むつ小川原開発」であった。

本州と四国を船に頼らずに渡ることは悲願であった。
1955年、霧の中宇高連絡船の紫雲丸が大型貨物運航船の第三宇高丸と衝突し
修学旅行の児童など168名もの死者をだした。

記録で見ると、船の衝突・転覆は珍しいことではないようで
紫雲丸も退役するまでに3度衝突し、沈没している。
紫雲丸という船名が死運丸とも聞こえるので縁起が悪いとの話もあるが
これは高松の栗林公園の背山の紫雲山に因んでいる。
紫雲丸はやがて瀬戸丸と船名が変わる。

本州と四国を結ぶ方法としては橋梁とトンネルが考えられる。
利便性・安全性としてはトンネルのほうがよい。
台風の時でも通行には問題がない。
しかしながら、この時点で海底トンネルの技術はすでに確立しており
未経験の新技術である橋梁による方法が採用された。
もちろん、車からの景観はトンネルとは全く異なる。


〔さまざまな橋梁技術が試された:斜張橋〕

しかしながら、いくつも超えなくてはならないハードルができることになる。
瀬戸内海は国立公園であり、景観に十分配慮する必要がある。
特に本州側の出発点は風光明媚で有名な鷲羽山であり
景観を乱さない配慮が必要である。

本四連絡ルートのうち、児島坂出ルートは自動車・鉄道併用橋であり
上を自動車が、下を電車が走る。
このために、陸から橋に渡るところでは上4車線の高速道路と
下2本の線路が走ることになる。
大きな断面を持つトンネルを狭い範囲に掘削することは高度な技術的を必要とする。
このために当初はオープンカットという工法の採用が検討された。
鷲羽山をV字型にカットするというわけである。


〔列車からの眺めは柱が邪魔になる〕

しかしながら、鷲羽山は瀬戸内海国立公園であり
特に通過予定地は奇岩で景勝地として有名な場所であった。
現在は緑が多くなってきたが、元々は禿山であり
奇岩で有名な場所だったのである。


〔奇岩の連なる鷲羽山〕

検討の結果、この場所ではオープンカットせずに四ツ目のトンネルが掘削された。
四ツ目のトンネルは、世界でも珍しいそうだ。
目立たないけれども、目立たせないというアセスの成果のひとつである。


〔下津井漁港の集落〕

鷲羽山のトンネルに入る直前には民家がたくさんあり、頭上を走るJRの騒音が問題となっている。


〔鷲羽山の中腹を貫く四つ目トンネル:この1階下にJRのトンネルがある〕


〔四つ目トンネルの下層部、JRのトンネル〕

『ゆっくり走る』
瀬戸大橋を走る電車は疾走しているという感じはない。
特に中国側から海上に出る際には、かなりゆっくり走行する。
橋の下に下津井の集落があるので
普通に走ると環境基準を達成できないためである。

騒音の基準を達成するためには
軽い車両(ジュラルミン製のマリンライナー)。
車輪に傷がないように研磨すること。
など、高度な管理がなされている。

『橋の色』
瀬戸大橋が赤だったらどうだろうか? 瀬戸紅葉橋
これはアセスで決めたわけではないのだが
シックな色で、特に雨天時には空に溶け込んで見える。
巨大であるが故に、存在を誇示しないということであろう。

色の決定は日本画の巨匠、東山魁夷である。
答申は色番号を書いた紙一枚であったという。

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