6 備前焼の胎土分析と流通
−備前焼擂鉢と類似品(明石・堺産擂鉢)の分析−

白石 純(自然科学研究所 考古学)・京黒晋太郎(理学研究科総合理学専攻)


胎土分析の目的
 備前市域で焼かれた無釉焼締め陶器である備前焼は、六古窯の一つに数えられ、中近世を通じて全国に流通している。なかでも擂鉢は「投げても割れぬ」と言われるように丈夫で長持ちすることから、流通の主力器種でもあった。しかしながら、1980年代の後半になって、それまで備前焼に分類されていた江戸時代中期以降の擂鉢の多くは、関西で焼かれたものであることがわかり(1)、兵庫県の明石市でも類似する擂鉢が焼かれていることがわかった(2)。また、大阪市の堂島蔵屋敷遺跡でも、備前焼擂鉢の模倣と思われるものが窯跡とともに調査された(3)。そして、お膝元である岡山城をはじめ岡山県内の城館、遺跡から出土する擂鉢にも関西産(明石・堺)擂鉢が使われていることがわかりつつある(4)。また、蛍光X線分析法による胎土分析でも、備前産と関西産擂鉢の識別が可能となっている(5)。
 この分析では、考古学的な研究に基づき分類された各生産地の擂鉢が、蛍光X線分析法で識別できるか再検討を試み、また擂鉢から江戸時代の流通に迫ってみたい。

考古学的な分類(擂鉢について)
 備前産と堂島・堺・明石産擂鉢(以下関西産)の考古学的な産地分類の目安は、以下の点があげられる(4)。

生産地別擂鉢の分類基準

備 前 産 堂島・堺・明石産(関西産)
焼成 焼成時間が長く温度が高い。よく焼き締まって、堅牢である。明石産は胎土の生地が砂質で、焼成温度が低いため砂粒が多くみられる。しかし、堂島・堺産には備前と見分けがつかない程、良く焼けているものがある。
重ね焼き 焼き台を使用せず、製品を直に重ねて焼き、窯着防止の砂も付着していない。関西産は、円筒形の焼き台を使用し、底面に溶着防止のための砂が付着。
見込み、スリメ見込みが狭くて曲線的体部との堺は明確な傾斜変換点をもたない。見込みはほぼスリメで塗りつぶされる。見込みが広くて平坦で体部との境界が明確である。見込みに固有のスリメがある。
口縁スリメ整形、調整のあとにスリメを入れるため、口縁内面上端のスリメ端をナデ消さない。ただ、江戸後期後半以降はナデ消すことがある。口縁内面上端のスリメをナデ消している。


理化学的な分類(蛍光X線分析による胎土分析)
 蛍光X線分析法により、擂鉢の胎土分析(焼成された粘土)を行った。この分析は、胎土中に含まれるいろいろな成分(元素)がどれくらい含まれているか、含有量を測定する方法である。粘土に含まれる成分は、主にSi(珪素),Ti(チタン),Al(アルミニウム),Fe(鉄),Mn(マンガン),Mg(マグネシウム),Ca(カルシウム),Na(ナトリウム),K(カリウム),P(リン),Rb(ルビジウム),Sr(ストロンチウム),Zr(ジルコニウム)などの元素で、今回はこれらの成分量について調べた。その結果、備前産、関西産(堺、明石)の産地間でCa,K,Zrの各元素に顕著な差がみられた。そこで、第1図K−Zr散布図から、各生産地資料を比較してみると、備前、堺、明石の各産地とも胎土分析で明確に識別することができた。

 以上、考古学的な分類が科学的な分析で同様に証明され、備前産以外の擂鉢がお膝元である岡山城や備中松山城に流通していることがわかった。特に、これら関西産の擂鉢が岡山城下で流通するのは18世紀後半以降からで、市内の遺跡では、量的には備前産が6〜7割、関西産が3〜4割という比率で入ってきていることがわかりつつある(4)。このように、岡山城下の各遺跡での各生産地擂鉢の使用頻度データが蓄積されつつあり、岡山城下でも備前産に比べ、機能的に劣る安価な関西産も使用されている実情がわかってくるに従い、当時の城下町の台所事情が見えそうである。
 この分析では、以下の方々および機関にお世話になった。記して感謝致します。
乗岡実、石井啓、森宏之、岡山市教育委員会、備前市教育委員会、高梁市教育委員会(敬称略)

(註)
(1) 白神典之1988「第5章 堺擂鉢について」『堺環濠都市遺跡発掘調査報告』堺市文化財調査報告第37集
(2) 稲原昭嘉1997「明石擂鉢の編年について」関西近世考古学研究会例会レジメ
(3) 佐藤 隆ほか1999『大阪市福島区 堂島蔵屋敷跡』(財)大阪市文化財協会
(4) 乗岡 実2000「近世の備前焼擂鉢とその類似品」『岡山市埋蔵文化財調査の概要』1998(平成10年度) 岡山市教育委員会
(5) 長佐古真也2000「近世備前焼き締擂鉢の生産地同定」『東京都埋蔵文化財センター研究論集』][ 東京都埋蔵文化財センター


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