4.岡山県森林公園の湿原 −その植生と成因−
波田善夫(総合情報学部 生態学) 

岡山県森林公園の湿原
 岡山県に赴任した30年ほど前、県内の各地を走り回って湿原を探し求めていた。県北の脊梁地域は雨量が多く、湿原が形成されやすい花崗岩が分布している地域が広いこともあって、各所に小規模ではあるが湿原があることがわかった。特に現在の森林公園付近から人形峠にかけての地域には、小規模な湿原が点々とあり、比較的簡単に湿原を見つけることが出来た。調査してみると、少し様子が違う。岡山の特性なのであろうか? 
 森林公園は広くなだらかな地形で、園内にはいくつかの湿地があり、モウセンゴケなどの生育する典型的な湿原の他、秋には見事な黄色い花を咲かせるオタカラコウが群生するオタカラコウ湿原などが点在している。
 最後の段階で、湿原の土壌を調べるために簡単なボーリングを行ってみた。土壌を調べてみると、表面から70cmほど下の層から、木炭がたくさん出てきた。この近辺で炭焼きを行っていたらしい。園内には六本杉と呼ばれているスギの大木があり、その下、園の入り口付近にはたたら製鉄で発生した鉱滓の「かなくそ」が大量に積まれている場所があり、たたら製鉄を行っていた地域であることは知っていたが、この時点では湿原がたたら製鉄の影響によって出来たものであるとは考えていなかった。

森林公園の六本杉湿原

県北地域のたたら製鉄
 流域は旭川であるが、同じく県北の花崗岩地帯である中和村で大規模なリゾート開発が計画され、環境アセスメントが実施された。計画地内を歩いてみると、なんとも地形がおかしい。尾根を歩いていると、突然尾根がなくなって崖になっている場所があったり、思わぬ場所に平坦地や池が、小川が山の斜面を横切って流れている場所もある。どうやら、人間が山を削り取って大きく改変したものらしい。谷には大量の土砂がたまっており、小規模な湿原が出来ている。
 たたら製鉄では、花崗岩の風化土壌である「真砂土」を掘り取り、水を流して比重の重たい砂鉄を集め、製鉄していた。花崗岩には数%程度しか砂鉄は含まれていないので、大量の土砂を採取し、洗い流す必要がある。この作業をかんな鉄穴ながしと呼んでいた。1回の製鉄で2トンの鉄塊を得るためには、24トンの砂鉄が必要であった。この量の砂鉄を得るためには、1000トンほどの真砂土を洗い流す必要があることになる。
 砂鉄を得るために流された土砂は下流の谷を埋め、平野部では河川の氾濫を招き、海に流れ出たものは干潟を作り、陸を広げる結果となった。島根県の中海は斐伊川の上流で行われた砂鉄採取によって、流れ出た土砂が海を堰き止めた結果できたものであり、その土砂量は3.8億〜5.4億立方メートルにも及ぶという。
たたら製鉄には大量の木炭が必要であり、周囲の樹林を伐採し尽くしてしまうと新たな場所へ移動した。製鉄を行うためには砂鉄含有量の多い花崗岩が分布していること、豊かな森林が発達していること、水流選別するための豊かな水が必要であった。中国地方の脊梁地帯はこれらの条件を満たしており、明治になって近代製鉄が導入されるまで、大規模なたたらが営まれてきた。

      図は奥津町(左の谷部)から泉山(右側の山岳)の中間に位置する「大神宮原」地域の等高線図である。
      泉山からの尾根線をたどっていくと、山麓部で尾根が不明瞭になり、平坦地(大神宮原)になる。

      通常、山頂から下るにつれ、尾根と谷の区別は明瞭になるべきものであり、これは異常な地形であるといえよう。更に、末端の谷に接する部分には、微高地がある。これらのことから、この地域は「かんな流し」によって削り取られて平坦になった地域であることがわかる。
       
 県北には蒜山の蛇ヶ乢湿原や賀茂町の細池湿原などのように自然性が高く、長い歴史を持つものもあるが、たたらによって埋没した谷に形成されたものも数多い。岡山県森林公園の湿原もそのような起源を持つものである。たたらは地形を変え、川の性質も変化させ、海岸平野の拡大などをもたらしてきた。最盛期では大変な自然破壊であったに違いないが、長い年月を経て自然は回復し、人間が作り出した地形の上にも貴重な自然が発達している。


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