6.総合討論 『会場からの質問に答えて』 ○湿原にはなぜ氷河時代の生き残り植物が多いのか? 湿原は「過湿・貧栄養」という植物の生育にとっては過酷な環境に成立している植生です。環境が厳しいので、普通の植物はなかなか生育できません。湿原の環境に適応している動植物だけが生育できる場所であるわけです。
湿原の植物たちは、現在よりも寒冷な氷河時代に日本に渡ってきた植物たちが多いのですが、気候が温暖化するにつれて、北に帰っていきました。しかし、一部分は湿原に取り残されてしまいました。湿原では、生物同士の生存競争が激しくないので、気温が少々温暖化しても、生き残ることが出来ているわけです。 ○製鉄は年代とともに変化してきたのではないか? 岡山県で発見されている最も古い製鉄の遺跡は、総社市などの沿岸域で確認されている。おそらく、最初の製鉄方法は鉄鉱石から鉄をとりだしたものであると思われる。朝鮮半島などの製鉄方法も鉄鉱石を原料とするもので、その後砂鉄による製鉄が開発され、県北に移動したのではないかと考えられる。
○県北のなだらかな地形は全てかんな流しのためではないと思うが? もちろん、吉備高原面などの自然に形成された地形もたくさんある。今回のかんな流しによる地形改変は、山頂平坦面ではなく、中腹から斜面下部にかけての緩やかな地形がたたらによるものではないかと指摘したものであり、砂鉄を含まない地質の地域ではかんな流しは行われていないわけで、自然地形であろう。
関先生の発表で明瞭に示されたが、砂鉄をたくさん含む地質の地域の中で、斜面の中部から谷にかけての地形が緩やかである場合、かんな流しによる地形改変の可能性が考えられると言うことであろう。 『ディスカッション』 ○遺跡の分布は沿岸部と津山に偏っているように見えるが?
○河川交通が盛んになる以前の吉井川を中心とした交流は?
○かんな流しが行われていた地域の確定
『感想と次回への取り組み』
地道な「地球化学図」の作成に関する研究は、たたら製鉄との関連のを見事に示してくれました。基礎科学によるデータの蓄積が人間の生活と歴史、生物たちの生育基盤と密接に関連していることがわかった瞬間であったと思います。今後、吉井川流域の地形解析を行うことによって、かんな流しの行われた地域が明瞭に明らかに出来るものと思われました。また、広域の地形解析を行うことによって、吉備高原域における人間活動などが明らかに出来る可能性が示唆されました。これらの解析には高度な情報技術が必要であることは言うまでもありません。 次回シンポジウムには、たたら製鉄が1つのポイントになるものと思われます。吉井川流域における人間活動に関する調査も進むことと思われます。ご期待ください。 |