2012/12/30〜2013/01/02
1.昔の想い出 |
話は44年前に遡る。 広島大学の理学部生物学科植物学専攻程では、北と南で野外実習をすることになっていた。北はアルプスなどで、高山の調査。我々の時は、入学定員は10名、教育学部の高等学校理科の学生も含めて学生は11名、大学院生や地元の先生方を含め、17人のご一行様であった。冬は南の実習。当時パスポートなしで行ける最も南西端の場所が奄美大島だったのであった。 季節は冬、ハブの活動が低調な時期、2月ではなかったかと思う。 鹿児島まで列車で、鹿児島港からは貨客船「あまみ丸」で半日かかって名瀬へと向かうことになる。夕方、我々が乗船した後にブタが生きたままクレーンで積み込まれている。鳴き声がすごい。女子学生は上部甲板に、男子学生は船底の窓のない大広間で雑魚寝ということであった。錦江湾を出るまではトランプに興じることができる状態であったが、湾を出たとたん長い周期での大きな揺れ、たくさんの洗面器が置いてあったことの理由がわかった。その洗面器が右舷の壁から左舷の壁に向かって広間の畳の上を走り、カーンと音を立てて壁にぶつかる。船長さんの言によれば、特に荒れているわけではないとのことであった。 次の日、早朝に名瀬港に着いた。 まず、ハブセンターに行って猛毒の毒蛇であるハブについて勉強した。毒蛇にはハブとヒメハブがいるとのこと。ヒメハブの毒の程度を聞くと「たいしたことないですよ。内地のマムシ程度です」・・・・。いざという時のためにハブの血清を購入し、調査に持参した。以後、バスで移動し、湯湾岳や建設途中の住用ダムの付近、そして当時国内で最も広い面積のマングローブ林などを歩いた記憶がある。 植物に関しては、リュウビンタイやヒリュウシダ、ヤシの仲間と見間違う木生シダのヒカゲヘゴ、そしてなじみのない常緑広葉樹の木本類。常緑広葉樹の仲間はよく似た顔をしており、いまだに同定は自信がない。 『泡盛』 奄美での実習では2つ思い出深いことがある。 1つは焼酎「泡盛」である。 貧乏学生の実習と言うこともあって名音小中学校の講堂に寝泊まりさせていただいていたのだが、実習の中日頃であったろうか、歓迎会を開催していただけるとのこと。 小学校の教室での歓迎会ということになった。 中央には教授と郵便局長。 郵便局長は地元の名士であり、校長先生より偉いらしい。 小さな小学生用の椅子に左右に分かれて我々学生と地元の方々や小学校の先生方が向かい合う。 ここで泡盛のお湯割りが出てきたのであった。 ヤカンに一升瓶から泡盛を注ぎ、それにお湯を足して適度な濃度に。 地元の方々から順番にお酌していただくことになった。 いまでこそ、焼酎は高級酒の部類と行って良い価格であるが 当時は最低ランキングのお酒に位置づけられていた。 その中での泡盛での宴会ということで、まずは独特の臭いに圧倒された。 飲まざるを得ないので、我慢してのどに流し込むと言うことになったがやがて気にならなくなった。 次の日、ちょっとしたトラブルがあり、大学院の先輩とやけ酒を飲むはめになった。 酒屋で泡盛を一升買い求め、お湯もヤカンもないのでお湯飲みでストレート。 45%前後の強い泡盛であったと思うのだが、結局1本空けてしまった。 おそらく、明日は二日酔いに違いないと思いつつのふて寝。 翌朝はスッキリ! 快調の目覚めであった。 「焼酎は二日酔いしない」を実感した次第。 この銘柄の焼酎を持ち帰ることにした。 鹿児島まで船で、そして広島まで列車で。 無事広島駅に着いて一升瓶をホームに置いたが ピシ!という小さな音。一升瓶の底にヒビが入り、底が抜けてホームに泡盛が流れ出てしまった・・・・・。 以降、再び泡盛を口にするまで数十年が経過したのでした。 『住用のマングローブ林』 もう1つの思い出深いことはマングローブ林である。 実習が終わり、帰路につこうという段取り。 始めて見た奄美大島の自然と分かれがたく、残ることにした。 そんな話をしていると、同級の田村君が残ってくれるとのこと。 二人での居残りであった。 どこで何をしようか・・・・ 実習で観察した住用のマングローブ林をもう少し見てみたいと意見が一致。 交通の便が悪かったので、基本的に歩く覚悟であったが 親切なダンプカーにヒッチハイク。 マングローブ林では、こっそりと道路脇から林内に侵入?! 中をあるくと高さ1mから数mの泥の塚が目に付く。 オキナワアナジャコがトンネルを掘った土を入り口の外に排出した結果である。 オキナワアナジャコの体長は30cmにもなるという。 新鮮な塚を掘り崩してみたが、スコップなどの武器を持たない我々にとって、1m以上の深さは到達不可能であった。 アナジャコの塚を見て回っている中で、塚が大きく発達するとその上に様々な植物が侵入してくる様子がわかった。そこで、塚の直径とその上に生育する植物の種類を記録し、整理することにした。マングローブに生育できる植物種は限られており、簡単に調査ができた。この調査記録が最初の印刷物となった記念すべき調査であった。 |