3 備前焼を支える松林
−窯業を成立させるための森林資源−

波田善夫(総合情報学部 植物生態学)


 備前焼などの窯業と同様に多量の木材燃料を必要とする「たたら製鉄」では、砂鉄や木炭の調達範囲について「粉鉄七里(こがねしちり)に炭三里(すみさんり) 」という言葉があった。1回の製鉄で、砂鉄10トンと木炭12トン程度が使用された。重たいが体積の小さい砂鉄は遠方から持って運搬することができるものの、木炭を調達するのは大変であり、木炭を調達しにくくなると製鉄所を移動させていた。
 備前焼の窯も時代とともに移動してきた。その原因の1つに備前焼に使用する木材燃料の調達可能性があると考えている。昨年に引き続き、その観点から解析を試みた。

昭和23年の航空写真から
 入手できる航空写真では、昭和23(1948)にアメリカ軍が撮影したものが最も古い。終戦直後、この時代は工業燃料は石炭などの化石燃料が使われていたが、家庭燃料は木質燃料であり、ほぼ江戸時代とは大きく変化していないものと思われる。そこで、この航空写真の解析を行った。航空写真を見ると、森林部分は禿げ山、伐採跡、低木林、中木林、高木林などの区分ができる。航空写真からこれらの区分を行い、昭和23年の植生図を作成した。

各地域の50年前の森林
 備前焼の窯が築かれた3地域(佐山、油杉、伊部)と築かれなかった2地域(久々井、鶴海)について植生図から計測した高木林・中木林・低木林・裸地の4区分の面積を求め、これから推定した森林の生産力を求めた。

a.地域の植生
 どの地域においても北斜面では高木林がよく発達しており、瀬戸内海沿岸地帯の乾燥した気候では、乾燥しにくい北斜面が森林の発達に適していることがわかる。特に佐山地区の北斜面の森林は良好に発達しており、備前焼の窯がこの地域の山裾に作られた事の理由の一端は、豊かな森林資源であったのではなかろうか。

 落葉広葉樹林が発達している佐山地区の北斜面   禿げ山になっている久々井地区の南斜面
   ※この地域の植生カラー画像へのジャンプ

 これらの地域で最も特徴的なのは久々井地域の南斜面であり、山頂から尾根にかけて広い禿げ山が目立つ。この禿げ山には成長の悪いアカマツやネズが生育しており、ここ数十年の観察でもあまり樹木は大きくなっていない。土壌はほとんど無く、風化した岩盤が表面に出てしまっている。このような禿げ山がいつ頃形成されたのかはわからないが、大昔と言ってもよいくらい、長い年月が経過しているのではなかろうか。当然、このような場所では樹木の成長が不良であり、大量の燃料を使用する窯業を営むことは困難であったと思われる。備前焼の窯が作られなかったのも、当時から禿げ山に近い状態であったと考えている。

b森林の面積
作成した植生図から各森林区分の面積を算出した。この面積と割合から、佐山地区と伊部地区は山林面積も広く、比較的生産性が高いものと思われる。久々井地区は裸地が広く、高木林も少ないことがわかる。鶴海地区は森林面積が狭いので、永続的な窯業は困難であったことがわかる。

 各地域の4段階に区分した森林面積 
   窯が築かれた地域     1:佐山 2:油杉 3:伊部
   窯が築かれなかった地域  4:久々井 5:鶴海

c.森林の生産性
 地力の低い場所では、一度伐採するとなかなか樹林へと回復せず、高木林の面積に比べて低木林や中木林が広いことになるはずである。このような仮定から、各地域における森林の生産性を推定してみた。
      窯が築かれた地域     佐山:2,313t 油杉:1,296t 伊部:3,904t
      窯が築かれなかった地域  久々井:625t 鶴海:560t
備前焼の窯が10基あり、年2回の火入れを行うとすると600トンの燃料が必要になる。住民生活にはこれよりも遙かに大量の燃料が使用されたはずである。木材生産量からみれば、最も豊かなのは伊部地域であり、現在に至るまで長期にわたって窯業を営むことが可能であることがわかる。次いで佐山地域も良好な森林資源を持った地域である。油杉地域はやや不足気味、久々井および鶴海地域は燃料生産量は地域住民の使用量を満足できる量すら下回っていた可能性がある。
窯の移動は政治的要素や製品の運搬手段など、複合的な背景によるものであろうが、窯業を営むには、少なくともエネルギーの供給が可能である条件を備えている事が必要である。


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