天石門別神社(あめのいわとわけ)のモミ2題 その2
 天石門別神社の境内に、鋼官の中から生えているモミがあった。昔来訪した時(おそらく13年ほど前)には活きていたが、今回の来訪では伐採されていた。枯死したので伐採されたのであろう。神社のすぐ下流には滝宮ダムという小さなダムがある。ダムの建設によって神社の境内が水没の可能性があり、神社の敷地を盛り土したのであろう。その際にモミの巨木を伐採することよりも、このような鋼管で周りを囲み、盛り土してモミを残すことを選択したものと思われる。保護保全のための取り組みであることは間違いないが、数m以上も埋め立てられた根っこはたまったものではないであろう。
106年から急激に年輪幅が小さくなり、129年で枯死45〜70年前後の年輪:少し苦労した時期あり中心部の年輪:比較的順調な生長
 年輪を数えてみると、129を数えることができた。芽生えたのは数m下であろうから、少なくとも140程度の樹齢であることになる。中心から数えて45年までの間は順調な生育を示している。46年目から54年までの間は年輪幅が狭く、苦労している。その後、急に年輪幅が広くなっていることから、この頃周囲の木が倒れたか、伐採されたものと思われる。およそ、今から80数年前のことである。その後、年輪幅は緩やかに狭くなったり広くなったりしながら、106年の時点から、急激に年輪幅が狭くなっている。この時が鋼管で巻かれ、周囲を埋め立てられた時であろう。狭くなった年輪幅は、8年後から少し回復している。埋め立てられた場所よりも根を遠くまで伸ばすことができたのかもしれない。その後、8年間はやや生長できているが、最後の7年間は生長しているとはいえないほどの年輪幅である。
 周囲を埋め立てられて23年ほど生き延びたことになる。この間、かなりの種子は生産したであろうし、花粉も周辺に供給したであろう。延命措置は一応の役割を果たしたと評価するのであろうか・・・・複雑な思いである。

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