死環
植物の葉をライターなどであぶると、熱した中心部は緑のままであるが、周辺がやがて黒変し、黒い環ができることがある。これを死環という。モチノキ科などで顕著に見られ、植物の同定に役立つ。
どうしてこのようなリング状の黒変が起こるのであろうか? 葉が熱せられて高温になると、もちろん葉の組織・細胞は死んでしまう。煮えてしまうわけである。熱せられた中心部から離れるにつれ、温度の上昇は低くなる。おそらく、70℃前後の温度ではないかと思うが、細胞全体としてはコントロールができなくなった状態となるが、酵素は活性を保持しているるという状況が発生する。このような状態では、制御を失った酵素が暴走反応を起こし、周辺の物質を変質させてしまう。この部分が黒変する部分であり、それよりも外側は温度の上昇があまりなかったので、細胞全体としても生きており、酵素はコントロールされているので、黒変しない。
細胞の中にある酵素は、使用されるまでは微小なカプセル中に入っており、必要に応じて酵素を放出するようにコントロールされている。このカプセルは、外部からの急激な刺激によって破壊されることがあり、熱や紫外線、超音波、急激なpHや浸透圧の変化によって壊れることが知られている。例えば、海水浴で急激に大量の紫外線を浴びると、細胞の中のカプセルが壊れ、予定外の量の酵素が放出され、皮膚に焼けど状の炎症が起きてしまう。夜になると寝られないほどの炎症が起きてしまうことを経験された方も多いであろう。凍ってしまったベゴニアが、昼には植物全体が溶けてしまうように崩れてしまうのは、凍結と融解による急激な浸透圧の変化によってカプセルが壊れてしまうためだと考えられている。
普段は厳密に、必要に応じてコントロールされているカプセルが一挙に破壊されると大量の酵素が放出され、手当たり次第に様々な物質を分解し、酸化する暴走反応が発生する。このような反応は、細胞が破壊され、死んでいく過程の中で普通に生じているはずである。リンゴの切り口が時間とともに次第に黒ずんできたりするのも同様な事象であろう。植物の葉を熱すると、すべての植物に死環が現れるわけではない。モチノキ科植物では、特に顕著であり、同定の助けとなっている。しかし、死環ができるからといって、モチノキ科であるとは限らない。どのような仕組みで、特にモチノキ科の植物で死環ができやすいのかについては、知識を持っていない。酵素の種類が違うのか、反応すると黒色に変化する特有な物質を持っているなどの仕組みを考えることができるが、おそらく黒変する物質を他の植物に比べて多量に持っているのであろうと思っている。
モチノキ科植物は、標本にする過程の中で黒変してしまう。次第に乾燥していく中で、カプセルが壊れて酵素が暴走するのであろう。ソヨゴを熱湯の中に入れ、一挙に細胞も酵素も殺してしまうと、緑のままの標本ができるのではないかと試してみたことがある。熱湯から上げた直後は美しい緑色であり、成功か!と思ったが、標本にするとやがて黒変してしまう。このことから、酸化すると黒変する物質を含んでいると考えたほうがよさそうである。
ところで、このような黒変する物質を含んでいれば、必ず死環ができるかといえば、そうではなさそうである。タラヨウは、尖ったもので葉の裏面に字を書くと、やがてその部分が黒変し、字が浮き出てくる。尖ったもので字を書くことによって、その部分の組織が破壊され、死環と同様な反応が起こったと考えることができるが、乾燥させても葉全体は黒変しない。ソヨゴの葉に字が書けるわけでもない。酵素の種類が異なるのか、細胞の中の存在形態が異なるのか、黒変する物質が異なるのか、なかなか複雑な現象・反応のようである。
死環ができやすい植物
モチノキ科植物:ナナミノキ、モチノキ、ソヨゴ、クロガネモチ、タラヨウ、ウメモドキなど
バラ科:セイヨウバクチノキなど