史前帰化植物 「水田と雑草 −稲刈り後は麦畑−」
秋にイネが刈り取られると、水田はすぐに緑になる。稲刈りが行われると地表面に明るい光が射し込み、それを感じた植物達が一斉に芽生えてくる。これらの植物は、種子に光が当たると発芽が促進される光発芽の特性を備えている。水田や畑などの耕作地に生育する植物(雑草?)は、農耕の伝播にともなって一緒に移動したものが多く、世界に広く分布していることが多い。日本の水田に生育している雑草は、ヨーロッパでは麦畑に見られる植物達との共通性が高いそうである。そのように見ると、排水が良好な冬の乾田は麦畑でもあり得るわけである。
前川(1978)は史前帰化植物について3つのグループに分類している。1つは稲作に伴って伝播してきた植物群であり、東南アジアで栽培されてきた水田の雑草として適応した植物群である。これらの植物はイネとともに、あるいはイネが田植えされる直前に芽生えて生長し、イネが刈り取られる直前に実を稔らせて種子を散布させてしまうものが多い。
下の表を見ていただこう、おやおや、こんなに! 田圃の中やあぜ道に生育している植物のかなりがこれら東南アジアの沼沢地や水田に共通な種である。これら、水田稲作にともなって伝播してきた植物は南方系であるので、春に芽生え、夏から秋にかけて結実する植物であり、水田耕作のサイクルに見事に対応している。
水田から水が落とされ、稲刈りが行われると多くの種子が芽生え、刈り跡は緑の絨毯になる。これらの種は、ムギ類の栽培伝来とともにやってきた植物であり、麦畑ではムギとともに芽生えて生長する雑草である。水田では、これらの植物は稲作の行われていない期間の乾燥した水田に生育する植物である。里山の春を彩る植物の多くは麦とともに伝来したことになる。
3つめのグループはの中国から有用植物として持ち込まれたもの、あるいは古里を思い出させる花なのかもしれない。
このように史前植物のリストを眺めてみると、人里の植物達のほとんどは、日本原産ではないという実態が明らかとなる。これら史前帰化植物に加え、これらよりも後にやってきたいわゆる帰化植物が加わって、春の人里の景観ができている。元々、日本には水田や麦畑と類似した環境がなかったわけで、生育する植物も分化していなかったに違いない。人間臭い場所に生育する植物は、人間とともにやってきたわけである。
前川文夫(1978) 世界の植物 p.3215から引用